優勝以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 15:33 UTC 版)
優勝の余勢を駆った1975-76シーズン、ウォリアーズはリーグ1位となる59勝をあげる。前年のファイナルで活躍したジャマール・ウィルクスやフィル・スミスらの成長により大きく負担が減ったバリーは平均21.6得点と得点は後退したが、他の部門では平均6.1リバウンド6.1アシスト2.5スティールと高水準を維持し、フリースロー成功率92.3%は2年連続のリーグ1位となった。バリーは3年連続でオールNBA1stチームに選ばれている。前年は奇跡の優勝を果たしたウォリアーズは、この年のプレーオフを堂々たる優勝候補として臨んだが、彼らは地元の期待を裏切り、カンファレンス決勝でフェニックス・サンズに3勝4敗で敗れる。このシリーズでチームメートと口論となる場面が見られたバリーは、プレーオフ中途敗退の戦犯として非難された。以後のウォリアーズは緩やかに衰退していき、バリー自身も平均22得点6アシスト前後のシーズンが続いた。 1977-78シーズン終了後、ウォリアーズとの契約が満了したバリーはチームから去ることを決意する。移籍先として選んだのがヒューストン・ロケッツだった。ロケッツを選んだ理由の一つにロケッツ所属のポイントガード、ジョン・ルーカスとのプレーを望んだことがあるが、当時のリーグ規約でロケッツはフランチャイズプレイヤーを失うウォリアーズに何らかの補償をせねばならず、その補償としてウォリアーズに譲渡されたのが皮肉にもジョン・ルーカスだった。
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