停戦条件受諾
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/06 17:52 UTC 版)
8月31日にカステッラーノ将軍は、シチリア島のテルミニ・イメレーゼに航空機で到着し、シラクサ近くの小さな村であるカッシビレに移動した。連合軍側はカステッラーノの来訪はイタリア軍が停戦条件を受諾し、降伏の調印にやってきたと判断していたが、カステッラーノは調印の権限委譲すらされていなかった。再び協議が行われ、その後王室とローマ市民保護のため空挺1個師団をローマ近辺に上陸させることと、9月2日を新たな回答期限とする合意が示された。 同日午後7時、カステッラーノとザヌッシはローマに戻った。9月1日に閣議が開かれ、アンブロージョ参謀総長、ラッファエレ・グアリーリャ(英語版)外相は連合軍の条件を受け入れるべきと主張したが、情報部長ジャコモ・カルボーニ(英語版)はローマ周辺に展開する軍団は都市を守るには燃料と装備が不足しており、講和は延期すべきだと主張した。バドリオ自身は会合では発言せず、閣議での決定も下さなかった。このため国王の決定にゆだねることとなり、午後にバドリオと面会した国王は講和に応じる旨の決定を下した。カステッラーノは受諾の方針を連合軍側に打電し、9月2日にカステッラーノが再びシチリアに向かうこととなった。しかしこの電文はドイツ軍によって傍受されていた。
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