侵攻の停滞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 16:19 UTC 版)
チェルムスフォードの第三縦隊が交戦している間、海岸沿いを進むチャールズ・ピアソン大佐指揮の第一縦隊はトゥゲラ川を越えニャーザン川で襲撃を試み待ち構えていたズールー軍と小競り合いの後に前進を続け、エショーヴェの放棄された伝道所まで到着するとここに陣地を構築した。イサンドルワナでの惨敗を知ったピアソンはトゥゲラ川までの後退を計画したが、これを実行するか否か躊躇っている間にズールー軍は英軍の補給路を断ち、エショーヴェを包囲してしまった(エショーヴェ包囲戦(英語版))。 一方、ユトレヒトを出発したエブリン・ウッド大佐の第四縦隊はズールーラント北西部のズールー族を制圧してウルンディ占領を目指す中央縦隊の前進を援護することが本来の任務だった。この目的のためにウッドはズールー軍4,000人が布陣しているフローベン山から南方10マイルのティンタンズ村に野営地を構築した。彼は1月24日の攻撃を計画していたが、イサンドルワナの敗報を聞いて後退した。この結果、英軍の侵攻開始から1ヶ月後には彼ら第四縦隊だけが有効な軍事力として残るのみとなってしまい、このまま作戦を続行するにはあまりにも戦力が不足していた。
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