住居表示と各町の地誌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 08:01 UTC 版)
「牛田 (広島市)」の記事における「住居表示と各町の地誌」の解説
「牛田村」および「牛田本町」も参照 牛田新町(うしたしんまち) - 町の北部(3・4丁目)は明治になって牛田村に編入された「新山村」にほぼ相当する(バス停の名前として残っている「天水」(あまず)は新山村以来の地名で、清水がわき出していたことに由来する)。南半分(1・2丁目)は、敗戦以前は水道施設(現在の牛田浄水場)および軍施設(工兵第5連隊作業場 / 現在の国家公務員アパート付近)が大半を占めており、白島地区とを結ぶ「工兵橋」はその時期の名残である。町名には「新たに編入された町」という意味が込められていると思われる。牛田地区が「広島市牛田町」として一つの町にまとめられていた時期の小地区名の一つであった。 牛田山(うしたやま) - 戸坂地区・中山地区と牛田地区を隔てる牛田山の南麓地域であり、大半は緑地である。 牛田旭(うしたあさひ) - 牛田地区が「広島市牛田町」として一つの町にまとめられていた時期の小地区名「牛田旭」に由来する。牛田旭二丁目、早稲田神社西側の牛田山斜面は字を「御茶屋地」と呼ばれた。 牛田早稲田(うしたわせだ) - 町名は、町内に所在するかつての牛田村鎮守社「早稲田八幡神社」に由来する。また牛田地区が「広島市牛田町」として一つの町にまとめられていた時期の小地区名の一つであった。牛田早稲田3丁目・4丁目は「早稲田団地」と呼ばれ公務員官舎が数多く建設されたが、2014年(平成26年頃)から再開発が進んでいる。 牛田本町(うしたほんまち) - 町名は京橋川に面する牛田地区の中心地(旧牛田村の役場所在地)であることに由来するものと思われる。また「広島市牛田町」として一つの町にまとめられていた時期の小地区名の一つであった。 牛田東(うしたひがし) - 昭和初期に「御代の台住宅地」と謳われた桜が丘(2丁目)をはじめ、東園団地(3丁目)、松風園団地(4丁目)などの造成団地がある。 牛田中(うしたなか) 牛田南(うしたみなみ)- 牛田地区が「広島市牛田町」として一つの町にまとめられていた時期の小地区名の一つ「牛田南町」に由来する。
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