伊闕仏龕碑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/10 10:00 UTC 版)
貞観15年(641年)、遂良45歳の時の楷書である。伊闕とは洛陽の南方にある龍門のことで、その石窟の賓陽洞(ひんようどう)の南の外壁に刻された摩崖碑がこれである。碑文の内容は太宗の四男の魏王李泰が生母の長孫皇后の追善のために、新たに石窟を造営したことを記したものであるが、損傷が甚だしく、今日では紀年の文字は見られない。しかし、宋の欧陽脩の『集古録跋尾』に記述されているところによって、岑文本(しんぶんぽん)の撰文、褚遂良の書、貞観15年の建碑であることがわかっている。篆額は「伊闕佛龕之碑」、碑文は各行51字、行数は近拓本では32〜33行である。字の大きさは4cmあり、彼の書碑の中では最も大きいものである。
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