二つの駅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/04 01:24 UTC 版)
最初の鉄道路線であるホヴド線がオスロとアイドスヴォルとの間に1854年開業し、当面のターミナルとしてガムレビエン地区に建てられた。ユングス広場やグリーネルロッカ地区(Grünerløkka)、ヴァテルランド・ブルの提案も含まれていた。1852年に建築設計競技が公示され、リバプールのクラウンストリート駅を基本とした提案が獲得している。駅はアーケル川の東に位置し、都心部にも港にも近くないことから永続的に利用出来るものでないことは明らかであった。1859年、ロエルヴァと港の間とビョルヴィカ地区の土地が購入され貨物部門の駅が拡張された。駅は日に1本から輸送量が増加し、とくに1862年にホヴド線のハーマルへの延伸や、1865年にコングスヴィンゲル線の開業後に伸びている。1872年にアケール・ブリッゲや市庁舎に近いピペルヴィカにオスロでは2つ目のターミナル駅が設けられた。オスロ西駅( Oslo Vestbanestasjon)が建設され、オスロ-ドランメン間のドランメン線がオスロ中心部への乗り入れが認められた。1907年まで、2km離れた二つのターミナル駅はハヴネ線が建設されるまで鉄道では結ばれていなかった。東駅とドランメン線を結ぶ中央駅の建設が話し合われ、この案にはマヨルシュトゥエン(Majorstuen)とグレフセン(Grefsen)を経由し建設する案が絡んでいた。オスロ西駅はオスロ第二の鉄道駅として残され、ほとんどがブスケルー県、テレマルク県、ヴェストフォル県、ソルランデ線などに使われていた。
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