事業の継承、X線装置の商品化
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「島津源蔵 (2代目)」の記事における「事業の継承、X線装置の商品化」の解説
1869年6月17日、京都市で初代島津源蔵の長男・梅次郎として生まれた。1875年、6歳の時に父が島津製作所を創業。梅次郎も早くから科学知識に興味を持ち、1884年にウィムズハースト式誘導起電機(Wimshurst machine)を作製して翌年の京都勧業博覧会に出品し、文部大臣の森有礼から激励を受けた。 1894年に初代・源蔵が急死したため、梅次郎は2代目源蔵を襲名して事業を継承した。翌1895年には、ヴィルヘルム・レントゲンがX線を発見したのを受け、ストラスブルク大学でレントゲンと面識のあった第三高等学校教授の村岡範為馳とともにX線の研究に着手した。その結果、翌年には日本国内初のX線写真の撮影に成功し、翌1897年に教育用X線装置を商品化している。また、1895年には教育用の人体模型、哺乳類・鳥類の標本の製造・販売を開始した。
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