九段会館
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九段会館(くだんかいかん)は、東京都千代田区九段南に所在した施設。旧称は軍人会館。ホール(講堂)[注 1]やレストラン、宿泊施設などを備え、結婚式やイベント各種などに使用されていたが、東日本大震災による天井崩落事故の影響で2011年(平成23年)4月に廃業した。
注釈
- ^ 1934年(昭和9年)3月の竣工当時には「講堂」と称していた[1]。
- ^ 建設途上の旧・軍人会館をとらえた大判写真を載せた時事写真速報〔昭和8年(1933年)7月1日付;題目「九段の偉観 上棟式が迫る軍人会館」〕の解説文の冒頭のところに「昭和御大礼記念事業として…」と記述されているのが見える[7]
- ^ 旧「軍人会館」が出版していた在郷軍人会関連書籍の奥付において、戦前に当施設を管理・運営していた「財団法人軍人会館」[10][11]の本拠地と、軍人会館建設を主導した在郷軍人会の本部の両住所表記が同一となっている[12][13]ことからも、在郷軍人会が本部を軍人会館内に設置していたことを窺い知ることが出来る
- ^ 公式には“「昭和5年(1930年)12月15日正午」応募受付締切→「昭和6年(1931年)1月中旬」入選発表”とされているが、実際には受付締切の8日後にあたる1930年12月23日に審査を終え、更に3日後の同年12月26日に審査結果が公表された。また入賞者に対しては審査を終えた時点で内示が為されていたという[9]。
- ^ 「九段会館」として再開業させるにあたっては、戦没者遺族に対し1世帯あたり100円の拠出を要請、更に8900万円の借り入れを別途実行、これらによって再開業に向けての改修費用を賄った[14]。
- ^ 当初予定されていた建設費は、付帯諸設備関連費用および事務諸経費を除いて「約145万円」だった[28]。
- ^ 「軍人会館」として建設された当施設の建設費250万円のうちの軍人拠出分(計100万円)について、軍人1人につき1円の拠出があった[14]とされているが、終戦後の昭和28年7月に開かれた衆議院厚生委員会に於いて、政府委員の一人として出席していた厚生省(現・厚生労働省)社会局長・安田巖は「在郷軍人300万人、現役軍人を含めて各自30銭以上を拠出」と発言[8]。また、当施設の建設費そのものについても安田は、先述の軍人拠出分に加え「満鉄からの寄付金100万円、その他一般の寄付金とを合せて260万円だったと思う」と発言している[8]。
- ^ 2001年度(平成13年度)中にスクリーン改修工事を、更に2003年度(平成15年度)中にはケーブル交換および床面改修工事を、それぞれ実施している[30]
- ^ この結婚は、当時満州国に駐屯していた関東軍の仲介により実現した政略結婚であった[34]。その背景として、日満一体化を強めたいという関東軍の思惑があった[35]。当初関東軍は、清朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀の弟で、日本の陸軍士官学校に留学して優秀な成績で卒業(恩賜の軍刀授受)し、その後千葉の陸軍歩兵学校で学んでいた溥傑と日本の皇族王女を結婚させる腹積もりであったが、皇室典範の壁に阻まれ、やむなく公卿華族や大名華族の娘たちの中から極秘に花嫁捜しをすることとなった。一方で嵯峨家でも浩の見合い写真を配り回ることで花婿捜しに奔走。そうした中、その見合い写真の1枚が溥傑の目にも止まったところから浩が花嫁候補の筆頭とされ、嵯峨家そして浩本人の意志とは無関係に縁談が進んだ。最終的に縁談はまとまり、1937年(昭和12年)2月6日に在日本満州国大使館が婚約を発表、そして日本の陸軍省が結婚式の日取りを決めた[35]。なお、結婚式当日には、現在の東京都杉並区内に存在した嵯峨侯爵邸から式場である当施設に向かう自動車の長い列が出来、当時の地元住民を驚かせたという[35]。
- ^ 1938年(昭和13年)5月に設立準備会をつくり、約4か月の準備期間を経て「大日本回教協会」の発足に至った。その初代会長には、この当時陸軍大将かつ前首相でありイスラム通としても知られていた林銑十郎が選ばれている[36]。
- ^ 細坪基佳は、自身がボーカルを務めていたフォークデュオ「ふきのとう」の結成から間もない1977年(昭和52年)頃に初めて当施設内ホールに於いて公演を行い、以後、1992年(平成4年)の「ふきのとう」解散を経て今日に至るまで、「ふきのとう」としての公演と自身のソロ公演とを合わせて十数回、当施設内ホールのステージに立ってきている[29]
出典
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