中野村の成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 22:49 UTC 版)
旧上甑村の区域で最も早くに人が住み着いた場所であると言われており、垣内は中世に開墾された開墾地とされる。 中野という地名自体は江戸期より見え、薩摩国甑島郡甑島郷(外城)のうちの中野村であった。村高は「三州御治世要覧」では93石余、「旧高旧領取調帳」では107石余であった。 江戸時代の測量家である伊能忠敬が著した「九州東海辺沿海村順」によれば「上甑村」として掲載されており、家数は64であると記載されている。
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