中世の河上
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 06:06 UTC 版)
「川上町 (鹿児島市)」の記事における「中世の河上」の解説
河上という地名は室町時代より見える地名であり、薩摩国鹿児島郡のうちであった。島津貞久の長子である頼久の子である川上親久が川上邑に封ぜられて川上氏を称した。応永11年(1404年)の島津元久宛行状に「薩摩国鹿児嶋群河上村事」と見え、島津元久から川上氏の川上家久に宛がわれた。中世の川上氏の居城は前述の加栗山にあったとされ、加栗山の「川上城」は天文4年(1535年)の島津勝久の攻撃にも耐えたとされる。
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