両軍の情勢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/12 15:10 UTC 版)
「キエヴランの戦い (1793年)」の記事における「両軍の情勢」の解説
オーストリア領ネーデルラントとライン川流域にいた同盟軍はコーブルク公率いるオーストリア軍5万とヘッセン兵8千、ウィレム・フレデリック率いるオランダ軍1万5千、ヨーク公率いるイギリスとハノーファー兵2万5千、ホーエンローエ=インゲルフィンゲン侯率いる、ルクセンブルク、ナミュールなどの要塞の駐留軍である神聖ローマ帝国軍1万5千、ブラウンシュヴァイク公率いる、ライン川流域を行軍していたプロイセン、オーストリア、ザクセン、バイエルン、フランス亡命軍の混成軍8万人だった。 同盟軍はウィーンから送られた大砲180門、オランダの大砲100門、さらに臼砲93門を有しており、要塞への砲撃の用意を整えた。
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