下毛野君とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 下毛野君の意味・解説 

上毛野氏

(下毛野君 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/10 03:29 UTC 版)

上毛野氏(かみつけのうじ/かみつけぬうじ[注 1])は、「上毛野」をの名とする氏族上毛野国造を歴任した。


  1. ^ 江戸時代から近年まで、「かみつけの」は「かみつけぬ」とも呼ばれたが、これは誤読との説もある(「毛野#「毛野」の由来と読み」参照)。
  2. ^ 『続日本紀』延暦10年4月条にその呼称が見られ、これら6氏族に比定される(熊倉浩靖「上毛野国から東国へ」(『群馬史再発見』(あさを社、2001年)))。
  3. ^ ただし、史書に記される各人物がどちらにあたるかは不明な点が多い。
  4. ^ この彦狭島王は、孝霊天皇皇子である彦狭島命とは別人。
  5. ^ この「御穂別命」は「御諸別命」の誤記とする説がある(針間鴨国造(播磨)(日本辞典))。
  6. ^ 上毛野滋子に関して、元慶3年(879年)に従三位から昇叙したという記録はあるが、具体的な位階は明らかでない。
  7. ^ なお、以前には太田天神山古墳以上の規模と推考される古墳の議論がなされていた。1つには、推定全長220m以上として雷電山古墳(栃木県宇都宮市)が挙げられることがあったが(『栃木県の地名』雷電山古墳項等)、1990年の調査で推定古墳跡地上で住居跡が見つかり、大規模古墳であることは否定されている。また、米山古墳(栃木県佐野市)も「米山丘陵全体が古墳」だとして全長約360mとする説があるが(現地説明板等)、現在はほぼ否定されている(米山古墳(とちぎの文化財))。
  8. ^ 群馬県内では、1935年の調査で8,423基の古墳が(『上毛古墳綜覧』)、2012-2015年度の調査で13,249基の古墳が確認されている("古墳王国裏付け1万3249基"<読売新聞、2017年3月5日記事>)。

注釈

  1. ^ 筑前国風土記』逸文によれば、神功皇后が三韓を征伐しようとして兵士を集めて出発すると、兵士が道の途中で消え失せてしまった。その理由を占うと大三輪神の祟りだと出たため、筑前国に神社を建て、三韓征伐は成功したという。
  2. ^ 『日本書紀』仲哀天皇9年9月条には「時に軍卒集い難し。皇后曰わく、必ず神の心ならむとのりたまひて、即ち大三輪社を建てて、刀矛を奉りたまふ。軍集自づから聚る」とある

原典

  1. ^ a b c 『日本書紀』崇神天皇48年条。
  2. ^ a b 『古事記』崇神天皇記。
  3. ^ 『新撰姓氏録』右京 皇別 上毛野朝臣条。
  4. ^ a b 『国造本紀』上毛野国造条。
  5. ^ 『日本書紀』垂仁天皇5年条。
  6. ^ 『新撰姓氏録』皇別 和泉国 登美首条等。
  7. ^ 『日本書紀』景行天皇55年条。
  8. ^ 『日本書紀』景行天皇56年条。
  9. ^ 『日本書紀』神功皇后49年条。
  10. ^ 『日本書紀』応神天皇15年条。
  11. ^ 『日本書紀』仁徳天皇53年条。
  12. ^ 『日本書紀』安閑天皇元年閏12月条。
  13. ^ 『国造本紀』下毛野国造条。
  14. ^ 『国造本紀』浮田国造条。
  15. ^ 『国造本紀』針間鴨国造条。
  16. ^ 『新撰姓氏録』左京 皇別 上毛野朝臣条。
  17. ^ 『新撰姓氏録』左京 皇別 住吉朝臣条、同 池原朝臣条、同 桑原公条、同 川合公条、同 商長首条。
  18. ^ 『新撰姓氏録』皇別 摂津国 韓矢田部造条に「三世孫・御諸別王の孫」と記載。
  19. ^ 『新撰姓氏録』皇別 左京 大網公条等。ただし『国造本紀』(『先代旧事本紀』第10巻)下毛野国造条は四世孫とする。
  20. ^ 『新撰姓氏録』皇別 左京 吉弥侯部条。ただし『新撰姓氏録』皇別 右京 垂水公条は四世孫とする。
  21. ^ 『新撰姓氏録』皇別 左京 車持公条。
  22. ^ 『新撰姓氏録』皇別 左京 池田朝臣。
  23. ^ 『続日本紀』天平勝宝元年閏5月20日条。
  24. ^ 『日本書紀』天武天皇13年11月条。
  25. ^ 『続日本紀』延暦10年4月条。

出典

  1. ^ マイペディア毛野』 - コトバンク
  2. ^ a b c 山本博文『あなたの知らない群馬県の歴史』(洋泉社)Q8。
  3. ^ 若狭徹『古墳時代東国の地域経営』(吉川弘文館、2021年)
  4. ^ a b c d e 『古代東国の王者 上毛野氏の研究』序章。
  5. ^ 日本大百科全書上毛野氏』 - コトバンク
  6. ^ 『群馬県の地名』上野国節。
  7. ^ a b c d e 『日本古代氏族人名辞典』上毛野氏項。
  8. ^ 高橋崇『蝦夷―古代東北人の歴史』(中央公論新社[中公新書]、1986年ISBN 4121008049)。
  9. ^ 『古代東国の王者 上毛野氏の研究』第四章。
  10. ^ 『古代東国の王者 上毛野氏の研究』第四章。
  11. ^ 『古代東国の王者 上毛野氏の研究』第六章。
  12. ^ 『日本古代氏族人名辞典』上毛野小熊項。
  13. ^ 『日本古代氏族人名辞典』上毛野君形名項。
  14. ^ 『日本古代氏族人名辞典』上毛野君稚子項。
  15. ^ 『日本古代氏族人名辞典』上毛野君三千項。
  16. ^ 『日本古代氏族人名辞典』上毛野公大椅之女項。
  17. ^ 『日本古代氏族人名辞典』上毛野朝臣穎人項。
  18. ^ 『日本古代氏族人名辞典』上毛野朝臣永世項。
  19. ^ 『日本古代氏族人名辞典』上毛野朝臣氏永項。
  20. ^ 『日本古代氏族人名辞典』上毛野朝臣滋子項。
  21. ^ 宮城村誌編集委員会編『宮城村詩』(宮城村、1973年)
  22. ^ 『続日本紀』
  23. ^ 「毛野の黎明-三~四世紀における地域形成のあゆみ」(『群馬史再発見』)。
  24. ^ 山本博文『あなたの知らない群馬県の歴史』(洋泉社)Q8。
  25. ^ 『古代東国の王者 上毛野氏の研究』第一章。
  26. ^ a b c 世界大百科事典上毛野氏』 - コトバンク
  27. ^ 『群馬県の地名』赤城山項。
  28. ^ a b c d 『古代東国の王者 上毛野氏の研究』終章。
  29. ^ 『国史大辞典』上毛野氏項。
  30. ^ 鈴木正信『大神氏の研究』雄山閣、2014年)
  31. ^ 『大神と石上 神体山と禁足地』(筑摩書房、1988年)
  32. ^ 白石太一郎『古墳とヤマト政権―古代国家はいかに形成されたか』(文藝春秋[文春新書]、1999年ISBN 4166600362)。
  33. ^ 山本博文『あなたの知らない群馬県の歴史』(洋泉社)Q3。
  34. ^ a b 『古代東国の王者 上毛野氏の研究』第三章。
  35. ^ 『よみがえる五世紀の世界』(かみつけの里博物館、常設展示解説書)。
  36. ^ 「上毛野国から東国へ」(『群馬史再発見』)。


「上毛野氏」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「下毛野君」の関連用語

下毛野君のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



下毛野君のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの上毛野氏 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS