上院議員への挑戦と落選
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/17 07:33 UTC 版)
「テノ・ロンカリオ」の記事における「上院議員への挑戦と落選」の解説
1966年6月15日、下院議員再選を目指さず、上院議員選挙への立候補を表明したが、共和党のクリフォード・P・ハンセン州知事に敗れた。 1967年、翌1968年選挙で下院議員に再立候補するよう要請されたが、立候補しないことを選択した。1968年の民主党大統領予備選挙では、ロバート・F・ケネディ上院議員を支持し、選挙スタッフの一員として活動した。ロンカリオはロバート・ケネディの暗殺を聞き、「ニュースになるような適切なことや、まともなことを言うのは思いつかない」と述べている。 ケネディの死後、ヒューバート・H・ハンフリーが民主党の大統領候補として指名された。ハンフリーは、ベトナム戦争への本格介入を作ったジョンソン政権で副大統領を務めており、反戦派のロンカリオにとっては受け入れがたいものであったため、民主党全国大会で反ハンフリー運動への支持を表明した。1969年4月、ワイオミング州の民主党全国委員会のウィリアム・A・ノリス・ジュニアが辞任を表明し、投票日前に対立候補が撤退を表明したため、無投票でロンカリオが後任に選ばれた。
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