上野陽一
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上野 陽一(うえの よういち、1883年(明治16年)10月28日 - 1957年(昭和32年)10月15日)は、日本の経営学者、産業心理学者。産業能率短期大学の創始者・学長、立教大学教授・経済学部長、大蔵省作業部計画課長。米国のマネジメント思想と技術を導入、産業界に紹介して、日本最初の経営コンサルタントとなった[2]。中でも、フレデリック・テイラーによる科学的管理法を「能率学」と名付け邦訳し、日本における経営学の端緒を開き「能率の父」と呼ばれる。位階勲等は正四位勲二等。
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