上野陽一とは? わかりやすく解説

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上野陽一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/04 06:00 UTC 版)

上野 陽一(うえの よういち、1883年明治16年)10月28日 - 1957年昭和32年)10月15日)は、日本の経営学者産業心理学者。産業能率短期大学の創始者・学長、立教大学教授・経済学部長、大蔵省作業部計画課長。米国のマネジメント思想と技術を導入、産業界に紹介して、日本最初の経営コンサルタントとなった[2]。中でも、フレデリック・テイラーによる科学的管理法を「能率学」と名付け邦訳し、日本における経営学の端緒を開き「能率の父」と呼ばれる。位階勲等は正四位勲二等。


  1. ^ 『会員氏名録』学士会。(1935年)より遡及入力。
  2. ^ a b c d e f g 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」 『上野 陽一』 コトバンク
  3. ^ 斉藤昭俊 1974, p. 48.
  4. ^ a b c d e f g h i 能率技師のメモ帳 『能率技師 上野陽一が作った学校 日本最初の経営コンサルタントが作った日本最初のビジネススクール』 2013年05月25日
  5. ^ 豊田 雅幸「教育における戦時非常措置と立教学院 : 立教理科専門学校の設立と文学部閉鎖問題」『立教学院史研究』第2巻、立教学院史資料センター、2004年3月、83-118頁。 


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