万屋惣兵衛と多町青果市場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/10 06:08 UTC 版)
「千両蜜柑」の記事における「万屋惣兵衛と多町青果市場」の解説
一方、東京版で登場する神田多町の果物問屋・万屋惣兵衛は1846年(弘化3年)に創業した実在の果物問屋「万惣」をモデルとしている。 2012年までは万惣商事として、高級果物の販売やフルーツパーラーの経営を行っていた。 また、かつての神田多町には幕府公認の青果市場が存在し、駒込・千住と並ぶ江戸三大青果市場の一つとして大いに賑わいを見せ、近辺には上記の万惣をはじめ様々な果物問屋が軒を連ねた。「神田青果市場発祥之地」(千代田区神田須田町1丁目10番所在)の碑文によると この市場は慶長年間に今の須田町付近、当時は八辻ヶ原と称していたこの地一帯において発祥した。 (中略) 江戸、明治、大正、昭和まで続き、この地を中心に神田多町二丁目、通り新石町、連雀町、佐柄木町、雉子町、須田町にわたる一帯となる。 震災で全滅したが復興し東洋一となったが、昭和3年12月1日に閉鎖、秋葉原北側に移転した。 とあり、その規模の大きさをうかがうことができる。
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