一二等列車への転換
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/25 06:49 UTC 版)
1970年代になると国際列車の利用者も大衆化し、二等車の需要が増えるのと引き替えに、一等車のみのTEEは利用が衰え始めた。このため1975年のTEEゲーテ(パリ - フランクフルト・アム・マイン)の廃止以降、廃止あるいは二等車を含む特急・急行に格下げされるTEEが現れた。 西ドイツのインターシティも1976年以降一部の列車に二等車を連結するようになり、1979年5月27日から全てのインターシティが二等車を含むようになった。この影響でインターシティ網の一部を担っていたTEEの多くも、1978年から1979年にかけて二等車を連結してTEEでなくなった。一方で、少数ながら残った西ドイツ国内の一等車専用の優等列車が新たにTEEに加わり、7往復の西ドイツ国内TEE(国際列車から国内列車に変更されたローラントを含む)が生まれた。これにより西ドイツ、フランス、イタリアの国内TEEの総数が国際TEEの数を上回るようになった。ただし西ドイツの国内TEEは数年以内に全て廃止あるいは二等車を含むインターシティに変更された。 1980年6月1日からは西ヨーロッパの国際列車に対してもインターシティという種別が用いられることになり、二等車を含むようになっていた元TEEの多くが国際インターシティとなった。その後もTEEの廃止やインターシティへの変更は続いた。 1978年のメルクールのインターシティ化によりデンマークに乗り入れるTEEがなくなり、1981年にはルクセンブルク、1982年にはスペインおよびモナコから、さらに1984年にはオーストリアからもTEEが姿を消した。
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