ヴィガドーと科学アカデミー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 23:44 UTC 版)
「ブダペストのドナウ河岸とブダ城地区およびアンドラーシ通り」の記事における「ヴィガドーと科学アカデミー」の解説
詳細は「ヴィガドー」および「ハンガリー科学アカデミー」を参照 旧市街聖堂から河岸沿いに北上すると見られるのがヴィガドー(ハンガリー語: Pesti Vigadó)である。これは1829-1833年にフェスル・フリジェシュ (Feszl Frygyes) によって建てられた折衷様式のコンサートホールで、19世紀には社交場として機能した。当初はRedouteという名称であり、この建物は戦争によって2回の破壊を受け、2回再建され、現在に至っている。1回目の破壊は1848-1849年の独立戦争時で、1860年に取り壊しが開始され、1865年に再建が終了し、RedouteからVigadóへと名称が変わった。2回目の破壊は第二次世界大戦中で、数回にわたって部分的に修復がなされ、1980年に再公開された。その後、2004-2014年にモニュメントを元の状態に戻す目的の改修を経て、現在の姿に至っている。 さらに北上してセーチェーニ鎖橋前も通り過ぎると、ネオ・ゴシック様式のハンガリー科学アカデミーの建物に至る。設計を担当したのはベルリン出身のシュトゥーラーで、1862年から1864年にかけて建造された。 ヴィガドー(夜景) 科学アカデミー 科学アカデミー
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