ロマン・トーテンベルクとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ロマン・トーテンベルクの意味・解説 

ロマン・トーテンベルク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/29 19:56 UTC 版)

ロマン・トーテンベルクポーランド語: Roman Totenberg, 1911年1月1日 - 2012年5月8日[1]は、ポーランド出身のヴァイオリニスト

生涯

ウッチの生まれ。

6歳でヴァイオリンを始め、ミエチスワフ・ミハロヴィチにヴァイオリンを学ぶ。1923年にワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団と共演してデビューを果たし、その後、ベルリンに留学してカール・フレッシュ門下となった。1931年には国際メンデルスゾーン賞を受賞し、パリでピエール・モントゥージョルジェ・エネスクらと共演し、ダリウス・ミヨーの知己を得た。1935年にはイギリスとアメリカに演奏旅行をおこない、成功をおさめた。1938年にはアメリカに移住している。その後は、アメリカを中心に演奏活動を展開し、アルトゥール・オネゲルの無伴奏ヴァイオリン・ソナタのアメリカ初演、ウィリアム・シューマンのヴァイオリン協奏曲、クシュシュトフ・ペンデレツキのカプリッチョなどの初演を担当した。

また、教育活動にも従事し、アスペンやタングルウッドで継続的に後進の指導に当たったほか、1961年から1978年まではボストン大学の弦楽器部門の主任教授を務めていた。

ニュートンで没。

脚注

  1. ^ [1]



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ロマン・トーテンベルク」の関連用語

ロマン・トーテンベルクのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ロマン・トーテンベルクのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのロマン・トーテンベルク (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS