レッドベリー
レッドベリー
レッドベリー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/16 14:01 UTC 版)
この曲の元になった楽曲がどのようなものであったかは、はっきりしていない。レッドベリーはこの歌を、やや異なる形で1908年から歌っていたとされ、おじのテレル (Terell) とボブ (Bob) から習ったと語っていた。グジー・デイヴィス(英語版)の1892年の曲は、一部の歌詞や、全体の構成に類似姓があり、その楽譜はアメリカ議会図書館で公開されている。この1892年の曲自体も、今は残されていない、より古い楽曲に基づいたものだと考えられる証拠がいくつかある。レッドベリーが実際にどこでこの曲を聴いたかに関わらず、彼はこの曲のリズムを変え、歌詞をほぼ全面的に書き換えて、1930年代にはこの曲を自作同然にしていた。 レッドベリーは、何度か投獄されていた時期にもこの曲を演奏しており、ルイジアナ州立刑務所(英語版)で服役していたときに出会った音楽学者のジョン・ローマックス(英語版)と アラン・ローマックスの親子によって、レッドベリーの演奏が数時間にも及ぶ長さで録音された。1934年、釈放される数ヶ月前に、議会図書館のためにレッドベリーが録音した多数の歌の中には、この曲も含まれていた。書籍『Negro Folk Songs as Sung by Lead Belly』には、語りの部分を盛り込んだ、この曲の長めのバージョンが収録されている。1930年代、1940年代を通して、この曲はレッドベリーの演奏の代表曲とされていた。しかし、ニューヨークのブルース愛好家のコミュニティでは人気が高かったものの、レッドベリーの存命中にこの曲が商業的な成功をもたらすことはなかった。2002年、レッドベリーによる1936年のアメリカ議会図書館録音は、グラミーの殿堂(英語版)入りを果たした。
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