ルースカヤ・プラウダ (キエフ大公国)
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ルースカ・プラウダ(ルーシ法典)(古東スラブ語: правда роусьскаΙаまたはправда рускаа、ロシア語: Русская Правда)はキエフ・ルーシ期の法令集である。収集された条文は数段階を経て補追されたものであり、内容的には刑法、相続法、商法、訴訟法等に関する条項を含んでいる。歴史学的史料としては、特にキエフ・ルーシ期の法律、社会、経済等の面において、『原初年代記』と並ぶ主要な文献史料に位置づけられている。
注釈
- ^ ロシア語では「Правда Ярослава(ヤロスラフ法典)」の他に、「Древнейшая правда(直訳:最も古い法典)」という名称も用いられる。
- ^ ただし、『(新輯本)ノヴゴロド第一年代期』の記述自体に関していえば、現存する『ノヴゴロド第一年代期』のうち、より古く、13世紀 - 14世紀成立と考えられる写本(「古輯本」もしくは「シノド本」[13])には「ヤロスラフの法典」にあたる記述がないことから、ミハイル・チホミローホフ(ru)による、「簡素本」は15世紀に『ノヴゴロド第一年代期』に挿入されたものだという説もある[8]。
- ^ 1072年説の関連項目としては、ヴィシゴロド諸公会議を参照されたし。
- ^ キエフ大公妃オリガの定めた税の名称でもあった。詳しくはウロクを参照されたし、
- ^ 「ノヴゴロドの地」はロシア語: Новгородская земляの直訳による。
- ^ 日本語文献では「ホロポストヴォ」(Холопство / 直訳:ホロープ集団)よりも「ホロープ」(Холоп)が用いられる。
出典
- ^ a b c d e f g h i j 和田春樹『ロシア史』p51
- ^ a b c 「ルスカヤ・プラウダ」 // 『[新版] ロシアを知る辞典』p797 - 798
- ^ a b 田中陽兒『世界歴史大系 ロシア史 1 -9世紀〜17世紀-』p122
- ^ 楢原学「ロシアの市場経済化と法文化」p97
- ^ 田中陽兒『世界歴史大系 ロシア史 1 -9世紀〜17世紀-』p101
- ^ a b c 直川誠蔵 2004, p. 75.
- ^ 直川誠蔵 2004, p. 73.
- ^ a b c d e f 田中陽兒『世界歴史大系 ロシア史 1 -9世紀〜17世紀-』p121
- ^ 宮野裕「ヤロスラフ賢公の教会規定 -解説と試訳・訳注-」p83
- ^ 井桁貞義『コンサイス露和辞典』p379
- ^ Пространная редакция
- ^ Петров И.В. Государство и право Древней Руси (750-980 гг.). - СПб.: Изд-во Михайлова В.А., 2003. – 413 с.
- ^ 田中陽兒『世界歴史大系 ロシア史 1 -9世紀〜17世紀-』p120
- ^ 直川誠蔵 2004, p. 91-92.
- ^ 直川誠蔵 2004, p. 93-94.
- ^ Пространная редакция
- ^ 和田春樹『ロシア史』p53
- ^ a b 田中陽兒『世界歴史大系 ロシア史 1 -9世紀〜17世紀-』p100
- ^ a b 和田春樹『ロシア史』p52
- ^ Лихачёв Д. С. Заметки о русском
- ^ 井桁貞義『コンサイス露和辞典』p176
- ^ 伊東孝之『ポーランド・ウクライナ・バルト史』p101
- ^ 井桁貞義『コンサイス露和辞典』p929
- ^ 「クニャーシ」 // 『角川世界史辞典』p268
- ^ 「クニャージ」 // 『新編西洋史辞典 - 改定増補版』p221
- ^ 國本哲男『ロシア原初年代記』事項索引p41
- ^ 伊東孝之『ポーランド・ウクライナ・バルト史』p102
- ^ a b 知る辞典, p. 709.
- ^ 知る辞典, p. 797.
- 1 ルースカヤ・プラウダ (キエフ大公国)とは
- 2 ルースカヤ・プラウダ (キエフ大公国)の概要
- 3 成立
- 4 法体系
- 5 条文と社会層
- 6 後世への影響
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