ルドルフ・トイスラー
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ルドルフ・ボリング・トイスラー(Rudolf Bolling Teusler、1876年2月25日 - 1934年8月10日)は、米国聖公会の宣教医師、聖路加国際大学の創立者。日本初の近代型医療施設の聖路加病院(聖路加国際病院の前身)の開設者で初代院長。立教学院理事。専門技術と知見を備えた看護職の育成に務め、医師の海外留学に先鞭をつける。
- ^ H・E・シュミット(最初の宣教医)、ヘンリー・ラニング(聖バルナバ病院)、フランク・W・ハレル(大橋診療所)、ヴィクター・M・ロー、J・J・セルウッドに次いで6番目の宣教医と考えられる[3][4]。
- ^ ライリー・アランは1966年に死去 (82歳)。28歳でホノルルスターブリテン紙の編集長の役職につく(1912年-1960年)。つねに過小評価されているとしてハワイに住むフィリピン系・韓国系の社会に注目するよう記者に勧めたとされる。2015年8月7日、故ライリー・アラン氏 (元ホノルルスターブリテン紙編集長 Honolulu Star-Bulletin) に対してアジア系ジャーナリスト協会 (AAAJ) より、特別賞が追贈された。表彰の理由は第二次世界大戦下に多くのマスコミが「黄禍論」に傾くなか、日系アメリカ人を擁護しいやしむことのなかった態度に対してである。金曜日の夜、協会大会の会場 (ダラス) で協会はアラン氏が紙上で主張した日系アメリカ人強制収用反対、紙面で「Jap」という言葉を使わなかったこと、また白人ではない子どもたちの公共教育に注いだ熱意をたたえた。AAAJ はアジア・太平洋系アメリカ人のジャーナリスト活動を支え、協会内に公平で的確な報道を呼びかける団体[14][15]。
- ^ 2015年9月21日、ルドルフ・トイスラーの孫を囲む会がロシア・サンクトペテルブルクの歴史文化子ども図書館で開かれ、トイスラーの孫のクリス・リンゴート博士とシャロン夫人がアメリカ・ノースカロライナ州から出席した。会は国際〈連帯〉プロジェクトの一環として企画された、特別巡回展『赤十字のもとに――世界が救った子どもたち』の関連事業である (アレクサンダー・プーシキン企画、サンクトペテルブルク市立中央子ども図書館主催・後援) 。テーマはペトログラードの学童疎開が元で難民になった子どもたちと、その命を救った国際的な連帯、子ども難民の帰郷に尽力したアメリカのトイスラー、アレン、日本の陽明丸の紹介であった。会場はサンクトペテルブルク市内とレニングラード地域一帯で、2015年5月よりサンクトペテルブルクの子ども国際文学図書館、第1子ども図書館、5月13日よりレニングラード地域ヴィボルク地区の区立図書館、9月1日よりペテルホフの中央図書館を巡回。
参加者は当時トイスラーの手伝いをした人々の子孫のほか、ロシア赤十字社サンクトペテルブルク支社代表や地元青年会の代表、展示の関係者、報道関係者だった。出席者の一覧に在サンクトペテルブルク日本国総領事館の中村氏の名前がある。 (Nakamura, Tomoki Vice-Consul for Culture of the Japanese Consulate General in St. Petersburg)[18]。
- ^ a b Robbins, Howard C.; MacNaught, George K. (1942). Dr. Rudolph Bolling Teusler, An Adventure in Christianity (First ed.). New York: C. Scribener's & Sons
- ^ a b “訃報 ルドルフ・ボリング・トイスラー博士 (英語)”. US National Library of Medicine, Institutes of Health. British Medical Journal. p. 496 (1934年9月2日). 2015年12月4日閲覧。
- ^ a b 羽田明浩(立教大学大学院)「病院組織の発展段階モデルの検証-聖路加国際病院の事例研究-」『『ビジネスクリエーター研究』創刊号』第1巻、2009年11月、54頁、2015年12月3日閲覧。
- ^ a b c d e 聖路加病院はいつ誕生したか ―築地外国人居留地の歴史に関連して― 筑波学院大学紀要第13集 川崎晴朗
- ^ “Founder and Philosophy”. 聖路加国際病院. 2015年12月4日閲覧。
- ^ 大久保隆弘『リーダーは95歳――日野原重明と聖路加国際病院の人々』ダイヤモンド社、2006年11月、3頁。ISBN 4-478-72027-4。 NCID BA79957039 。
- ^ a b 「100周年記念誌」『聖路加国際病院の一〇〇年』、聖路加国際病院。
- ^ 1913年6月7日付けのニューヨークタイムズ紙に募金活動で一時帰国したトイスラーが報道された。「アメリカの病院拡充を――R. B. トイスラー博士、東京から支援を募りに帰朝」 (英文) "Wants to Enlarge American Hospital: Dr. R. B. Teusler Is Here from Tokio to Get Added Support for St. Luke's." The New York Times. June 7, 1913. Perelman, Elisheva Avital. “The Exponent of Breath: The Role of Foreign Evangelical Organizations in Combating Japan's Tuberculosis Epidemic of the Early 20th Century”. バークレー大学図書館. p. 199. 2015年12月4日閲覧。
- ^ “病院紹介 沿革”. 聖路加国際病院. 2015年12月1日閲覧。
- ^ a b c Rockfeller Foundation Archive (1921-1930)からの翻訳 Nursing Education in the Far East. Translation of Rockfeller Foundation Archive (1921-1930)日野原重明「開学満20周年記念特別寄稿 極東における看護教育(その1) Rockfeller Foundation Archive(1921-1930)からの翻訳 Nursing Education in the Far East. Translation of Rockfeller Foundation Archive(1921-1930)」『聖路加看護大学紀要』第10巻、聖路加看護大学、1984年12月1日、ISSN 02892863。
- ^ 制服をまとうルドルフ・トイスラー博士の肖像。Teusler in uniform (Russian).“トイスラー博士と海を渡って帰郷した子どもたちの子孫が出会う” (2015年10月1日). 2015年12月2日閲覧。 (ロシア語)
- ^ 聖路加国際病院の概要――p.3 歴史
- ^ a b アメリカから看護婦団がシベリアへ派遣された当時の写真が伝わっているNoyes, Clara D. (1919-11). The Red Cross. 20. Lippincott Williams & Wilkins. doi:10.2307/3405597
- ^ “故ライリー・アラン氏に特別賞を追贈――民族の多様性への貢献に対し、アジア系ジャーナリスト協会が元ホノルル・スターブリテン紙の編集長を表彰 (英語)”. Dallas, Texas: PR Newswire (2015年8月9日). 2015年12月3日閲覧。
- ^ Chapin, Helen Geracimos (1996-05). Shaping History: The Role of Newspapers in Hawaii. University of Hawai'i Press
- ^ “ロシア児童難民の世界一周経路”. 人道の船 陽明丸顕彰会. 2015年12月1日閲覧。
- ^ “愛媛の「海偉人」 勝田銀次郎”. 2016年2月17日閲覧。
- ^ “地図=ロシア児童難民の世界一周経路”. 人道の船 陽明丸顕彰会. 2015年12月1日閲覧。
- ^ 「ルドルフ・ボリング・トイスラー小伝」(中村徳吉著)より。
- ^ 1920年に高等女学校令の改正で高等女学校の卒業生対象に高等科の設置を認可。高等女学校#歴史を参照。
- ^ ラッシュは1979年 (昭和54) 12月12日、聖路加国際病院で息を引き取る“清泉寮の沿革”. 2015年12月3日閲覧。
- ^ 「東京の聖路加病院のルドルフ・トイスラーはニューヨークのロックフェラー(財団)事務所にたびたび書簡を寄せた。」 Science, Public Health and National Reconstruction in Post-War Asia: Influences, Local Transformations. Ruteledge. (2014-08-13). p. 75
- ^ “トイスラー記念碑”. 2015年12月1日閲覧。
- ^ 立教大学新聞 第205号 1962年12月1日
- ^ 聖路加国際大学『トイスラー小伝』大学史編纂・資料室
- 1 ルドルフ・トイスラーとは
- 2 ルドルフ・トイスラーの概要
- 3 脚注
- 4 外部リンク
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