リトアニア独立後
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「ヨーナス・トゥリンクーナス」の記事における「リトアニア独立後」の解説
サユディスの改革運動が活発になった1988年、トゥリンクーナスはようやくヴィリニュス大学への復帰を許され、心理学部と社会学部内での民族学助手となった。1990年から1993年にかけて、彼はリトアニア文化省の民族文化庁の長官となった。1944年からは民族・民族社会学部門の研究者として勤務し、リトアニア教育大学で民族文化を教えた。この時期には数々の国際会議やペイガン関連のイベントに出席し、国内外への寄稿や著書執筆の量も増加した。トゥリンクーナスは民族音楽バンドクールグリンダ、Etninės kultūros draugija (民族文化協会), Tautos namai (民族の家)など様々な団体のメンバーであった。 トゥリンクーナスの学者としての業績は、ソ連崩壊後のリトアニアで開花することとなった。彼の民族文化庁長官在任期には、この機関の管轄範囲は民族誌や民謡、小リトアニアとロシア領カリーニングラード州の教育・文化問題に加え、広範な出版活動も行っていた。また彼はこの時期、民話研究者を表彰する「ヨーナス・バサナヴィチュース賞」や、セイマス(議会)に対して責任をもつ民族文化保護評議会を設立した。この評議会は現在に至るまでリトアニアの文化保護政策で重要な役割を担っている。1997年、彼はヴェナンタス・マチエクスと共に、ラムヴァ文化改革運動での功績によりヨーナス・バサナヴィチュース賞を受賞した。
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