リトアニア人のラグニット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/02/02 02:06 UTC 版)
ドイツの一部でありながら、ラグニットは数世紀もの間リトアニアの文化の中心でもあった。1549年から1563年までの間、リトアニア人の名高い作家・翻訳家で、史上初めてリトアニア語で印刷された本("Catechismusa Prasty Szadei")を書いたマルティナス・マジュヴィダス(Martynas Mažvydas)は、ラグニット(ラガイネ)に僧侶・助祭長(archdeacon)として赴任していた。この町にいる間に、マジュヴィダスは多くの書籍をドイツ語からリトアニア語に翻訳したり、リトアニア語で著書を書いたりしている。 1863年に始まった1月蜂起で、ロシア帝国領内でのリトアニア語出版が禁じられると、東プロイセン(特にラグニットをはじめとした小リトアニア)でリトアニア語の書物が印刷され、ひそかにロシア領リトアニアへ密輸されていった。
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