モレルとジョンソンのその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/12 14:40 UTC 版)
「ニューサウスグリーンランド」の記事における「モレルとジョンソンのその後」の解説
モレルの4回の航海は1831年8月21日に、ニューヨークに戻ったときで終わった。その後に『4つの航海の話』を書き、翌年出版された。モレルは海に生きる生活に戻ろうとして、ロンドンを本拠とする海運会社エンダービー・ブラザーズに就職しようとしたが、その評判が先行しており、拒絶された。チャールズ・エンダービーは「モレルについて多くを聞いており、彼と共に仕事をしてもうまく行かないと考えた」と公言していた。モレルは1837年にデュモン・デュルヴィルのウェッデル海遠征に加わろうともしたが、このときも断られた。モレルは1839年に死んだとされている。サウスサンドイッチ諸島の小さい区分である南トゥーレにあるテューレ島(南緯59度27分西経27度19分)は、別名モレル島であり、モレルを記念するものである。ニューサウスグリーンランドという名前を考え出したロバート・ジョンソンは、1826年に後にロス海と呼ばれることになった海にちかい南極海を探索しているときに、船と共に失踪した。
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