ミナンカバウにおける修史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 08:39 UTC 版)
「ミナンカバウ人」の記事における「ミナンカバウにおける修史」の解説
伝統的なミナンカバウにおける修史であるタンボ(tambo)において、ミナンカバウの世界観とその慣習を知ることが可能である。ミナンカバウにおける修史はオーラル・ヒストリーによって、ミナンカバウ人が文字を持つまでは紡がれてきた。ミナンカバウ人は、初めはマラピ山(en)のそばに船で着いたという。ミナンカバウ人の人口が増え、水資源が乏しくなるようになると、マラピ山周辺の斜面や渓谷に移り住むようになった。このミナンカバウ人が最初に住んでいた地域をダレック(darek)と呼ぶ。ダレックは、現在のリマプル・コタ(en)、タナ・ダタール(en)、アガム(en)によって、構成されている。タンボでは、この航海でたどり着いた人々は、アレクサンドロス大王の子孫であると主張する。
※この「ミナンカバウにおける修史」の解説は、「ミナンカバウ人」の解説の一部です。
「ミナンカバウにおける修史」を含む「ミナンカバウ人」の記事については、「ミナンカバウ人」の概要を参照ください。
- ミナンカバウにおける修史のページへのリンク