ポルト・ベロ遠征
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/10 06:04 UTC 版)
「ヘンリー・モーガン」の記事における「ポルト・ベロ遠征」の解説
ポルト・ベロ(地図はこちら)遠征の際、モーガンが苦労したのは仲間集めであった。キューバ遠征の事件でフランス人海賊が集まらなかったため、460人しかこの遠征に参加しなかった。ポルト・ベロは「難攻不落の要塞」といわれており、参加人数の少なさに遠征の失敗を心配する仲間もいた。モーガンはそんな仲間を励まし、激しい攻防の末、奇襲作戦でポルト・ベロを占領した。パナマ市総督は救援軍を送ったが、逆に海賊に襲われることになった。モーガンは兵を捕虜とし、パナマ市総督に住民の身代金の要求をした。このとき、パナマ市総督はモーガンに「海賊の武功を示すものを送ってくれないか」と言い、モーガンは1丁のピストルと数発の弾丸を渡し「これを12か月間保管しておいてください。自分自身で取り返しに行きます」と言った。総督も金の指輪を渡し「ポルト・ベロほどはうまくいかない」と言ったという。 結局パナマ市は身代金を払わず、住民が土の中から掘り出した身代金がわりの10万ペソと宝石、25万ペソの現金、奴隷などの奪ったものを乗せて、モーガンはジャマイカ島に引き上げた。ポルト・ベロを簡単に攻略されたことで、本国のスペイン人はモーガンを悪魔のように恐れた。
※この「ポルト・ベロ遠征」の解説は、「ヘンリー・モーガン」の解説の一部です。
「ポルト・ベロ遠征」を含む「ヘンリー・モーガン」の記事については、「ヘンリー・モーガン」の概要を参照ください。
- ポルト・ベロ遠征のページへのリンク