ボリショイの名花、プリセツカヤ招聘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 08:00 UTC 版)
「佐々木忠次」の記事における「ボリショイの名花、プリセツカヤ招聘」の解説
マイヤ・プリセツカヤは、東京バレエ学校も日本の他のバレエ学校も、何度望んでも招聘を叶えることができなかったボリショイ・バレエ団の名花であった。1968年(昭和43年)1月、プリセツカヤが来日し、東京バレエ団と『白鳥の湖』を共演することになった。東京文化会館で3日間、東京厚生年金会館で1日、佐々木も唖然とするほどの大反響だった。 1968年(昭和43年)4月『ジゼル』を改めて振付し指導したのはガリーナ・ウラーノワ。すでに引退していた彼女に、彼女の代表作を依頼したのである。最高の評価を引き出すために最高の相手にアタックする。それが佐々木のやり方であり、インプレサリオの真骨頂といえた。
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