ボリシェヴィキの侵入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 14:29 UTC 版)
「ウクライナ中央ラーダ」の記事における「ボリシェヴィキの侵入」の解説
ウクライナはロシアのあらゆる産業の中心地であり、ボリシェヴィキはウクライナがロシアから乖離することを恐れて中央ラーダの無力化を試みた。ヴラジーミル・レーニンやレフ・トロツキーらボリシェヴィキは中央ラーダをブルジョワ主義の反革命分離主義者であると激しく批判し、平行してソヴィエト勢力を中央ラーダ内に入り込ませ、内部よりの乗っ取りを企てた。しかし、ウクライナでのボリシェヴィキ勢力はわずか1割程度であり、中央ラーダの乗っ取りは到底不可能であった。かわって、ボリシェヴィキは武力によるウクライナの制圧を視野に入れて、ウクライナ系勢力に敵対するロシア系勢力の強いハルキウにウクライナ人民共和国(ウクライナ・ソヴィエト共和国)を樹立してボリシェヴィキ勢力のウクライナにおける中枢とした。
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