ホルストンブランドの衰退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 16:42 UTC 版)
「ホルストン」の記事における「ホルストンブランドの衰退」の解説
1983年、ホルストンは小売チェーンのJ.C.ペニーとレイセンス契約を結び、その契約金は10億ドルだったと言われている。この新ブランドは「ホルストンIII」と呼ばれ、24ドル〜200ドルの手頃な価格の衣類、アクセサリー、化粧品、香水のラインナップで構成された。当時、ホルストンのような高級デザイナーが中価格帯の小売チェーンと契約を結ぶことがなかったため、ホルストンの新ブランドはファッション業界で物議を醸した。ホルストン自身はJ.C.ペニーとの契約はブランド拡大につながるとして好意的に考えていたが、逆に新ブランドによりホルストンの名が「安っぽく」なったと考える風潮がファッション業界で広がり、ホルストンブランドのイメージダウンにつながってしまった。 当時、高級デパートのバーグドルフ・グッドマンは、ホルストンIIIの計画発表後、ホルストン・リミテッドのラインナップを店舗から引き下げた。 さらに他のデパートや店舗もこの動きに同調し、ホルストンへの発注が減少した。 J.C.ペニーと契約したホルストンIIIブランドの評判は散々なものであり、最終的にはラインナップは廃止された。ただし、高級ブランドデザイナーが異なる価格帯の商品を売り出す道を切り開いたという点で、ホルストンを評価する声も現在ではある。 1983年、当時ノートン・サイモン社が所有していたホルストン・リミテッドを、エスマーク社が買収した。エスマークによる買収後、ホルストンは自身が創始者であるはずのブランドの経営権を奪われていき、憤りを募らせていった。ブランドの経営権がプレイテックス社 、 ベアトリス・フーズなど様々な会社に次々と移り変わる中で、 ホルストンのブランドへの影響力は弱まっていき、1984年には自身のブランドのためにデザインを提供することすら禁止されてしまった。そのような状況の中、ホルストンはブランドを買い戻そうと辛抱強く交渉を続けた 。 1986年にホルストンはレブロン社に買収された。レブロン社はホルストンがブランドのデザインを手がけないことを条件に、ホルストンに報酬を支払った。しかしながらホルストンはこの間も、家族や友人のライザ・ミネリやマーサ・グラハムのためにデザインを提供していた。レブロン社との契約が切れた後、ホルストンは再びレブロン社と契約を更新する話を進めていたが、レブロン社がホルストン抜きで新ホルストンブランドを立ち上げようとしている話が発覚し、交渉は決裂した。 その後、レブロン社は様々なデザイナーのもとでホルストンブランドの衣類を発表したが、1990年に衣類の販売は廃止となった。しかしホルストンの香水だけは販売が続けられた。
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