ベラ・ダヴィドヴィチとは? わかりやすく解説

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ベラ・ダヴィドヴィチ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/26 13:38 UTC 版)

ベラ ミハイロヴナ ダヴィドヴィチ
1966年
基本情報
生誕 (1928-07-16) 1928年7月16日
出身地 ソビエト連邦アゼルバイジャン バクー
学歴 モスクワ音楽院
ジャンル クラシック音楽
職業 ピアニスト
担当楽器 ピアノ

ベラ・ミハイロヴナ・ダヴィドヴィチロシア語: Бе́лла Миха́йловна Давидо́вич、Bella Mikhaylovna Davidovich、1928年7月16日 - )はアゼルバイジャン出身のユダヤ系ピアニスト。

経歴

アゼルバイジャンのバクー出身[1]。6歳よりピアノを始め、3年後にはベートーヴェンの《ピアノ協奏曲 第1番》をオーケストラと共演してデビューした。1939年よりモスクワに移って音楽教育を受け続け、1949年ハリーナ・チェルニー=ステファンスカと並んで、第4回ショパン国際コンクールの覇者となった。1949年モスクワ音楽院を首席で卒業し、ソ連東欧で首尾よく活動を開始した。翌年よりモスクワ音楽院で教鞭を執り始め、レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団とも共演した。

ヴァイオリニスト、ユリアン・シトコヴェツキー1925年 - 1958年)と結婚した。ヴァイオリニストディミトリ・シトコヴェツキーは息子である。1978年アメリカ合衆国に亡命して米国籍を取得。1982年よりニューヨークジュリアード音楽院で教鞭を執り、現在に至る。

近年は演奏家としてあまり活動しなくなったが、以前はショパンの専門家として知られ、安定した演奏技術の上に、スケールの大きさと彼女特有の美観を併せ持つ演奏をした。また、"フランツ・リストの再来"と絶賛されたことのあるラザール・ベルマンが「私より彼女のほうがショパンは上手い」と発言して注目を集めた。ショパンのほかに、スクリャービンプロコフィエフの演奏も得意とした。CDは主にフィリップス・レーベルから発売されており、ショパンのピアノ協奏曲全曲、バラード、即興曲などの録音がある。

アンドラーシュ・シフショシャナ・ルディアコフ(シュトゥットガルト音楽大学教授)、ジュリア・ジルバーキットマキシム・モギレフスキー、 日本人ピアニスト の長島達也、ベトナム系アメリカ人ピアニストのクイン・グエンなどの弟子を世に送り出したことでも知られる。[2][3][4][5]

脚注

  1. ^ 吉澤ヴィルヘルム『ピアニストガイド』青弓社、印刷所・製本所厚徳所、2006年2月10日、57ページ、ISBN 4-7872-7208-X
  2. ^ András Schiff” (英語). Zeneakademia.hu. 2020年5月29日閲覧。
  3. ^ The Hour - Google ニュース アーカイブ検索”. news.google.com. 2020年5月29日閲覧。
  4. ^ Bio-Japanese - Tatsuya Nagashima Pianist & Conductor”. www.tatsuya-pianist.com. 2020年5月29日閲覧。
  5. ^ Quynh Nguyen | Pianist”. www.quynhpiano.com. 2020年5月29日閲覧。




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