ピーター・バラカン
芸名 | ピーター・バラカン |
芸名フリガナ | ぴーたー ばらかん |
性別 | 男性 |
生年月日 | 1951/8/20 |
星座 | しし座 |
干支 | 卯年 |
血液型 | O |
出身地 | イギリス・ロンドン |
身長 | 174 cm |
体重 | 71 kg |
URL | https://peterbarakan.net/ |
プロフィール | 1951年ロンドン生まれ。ロンドン大学日本語学科を卒業後、1974年に音楽出版社の著作権業務に就くため来日。フリーのブロードキャスターとして活動、NHK-FM『ウィークエンド・サンシャイン』、インターFM『Barakan Beat』、TOKYO FM『The Lifestyle MUSEUM』、NHK BS1『ビギン・ジャパノロジー』などを担当。 |
代表作品1年 | 1989 |
代表作品1 | 著書『魂(ソウル)のゆくえ』 |
代表作品2年 | 1998 |
代表作品2 | 著書『ぼくが愛するロック名盤240』 |
代表作品3年 | 2009 |
代表作品3 | 著書『猿はマンキ お金はマニ~日本人のための英語発音ルール』 |
職種 | 話す仕事 |
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イギリス・ロンドン出身のタレント | ピーター・バラカン |
ピーター・バラカン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/11 03:13 UTC 版)
ピーター・バラカン(Peter Barakan、1951年8月20日 - )は、イギリス出身[1]のラジオパーソナリティ、音楽評論家。日本国内では主にラジオパーソナリティとして番組をいくつも担当している人物であり、世界的には世界各地で放送されているNHKワールドTVの番組『Japanology Plus』のプレゼンター役として、日本の文化を世界の人々に向けて紹介する役割を果たしている。
注釈
- ^ 1996年にInterFMで放送開始して以来、終了と復活を繰り返している。2014年10月から現在の時間。
- ^ 2013年8月にInterFMで一夜限りの復活を果たした。その後「スタジオテクノポリス24/21」として、不定期で放送されている。
- ^ 前身は「大学対抗DJショー」。1993年1月15日と1994年1月15日の2回放送。当初バラカンは審査員やゲストとしての参加。メイン・パーソナリティ担当は95年4月以降。
- ^ 前身は「伝説のロック・ライブ」。1996年8月、11月、97年1月に放送。年末特集なども放送された。
- ^ 2009年10月〜2012年3月にも放送されていた。この時期の放送時間は毎週月-金曜日(木曜日は生出演せず、事前収録コーナーのみの出演)
- ^ 開始当初は毎週木曜日 20:00-21:15、2014年4月からは毎週日曜日 22:00-23:15、同年10月から日曜深夜の放送時間に変更。
- ^ 元は日本国外向けに放送される英語番組で、日本向けの日本語訳(副音声・ステレオ2)は吹き替えが行われるが、バラカン本人が吹き込んでいるのではない。
出典
- ^ a b c d “私の先生 ピーター・バラカンさん ブロードキャスター”. 読売新聞 朝刊 (読売新聞社): pp. 16面. (2013年2月28日)
- ^ “Peter Barakan’s LIVE MAGIC! - HISTORY 2014”. LIVE MAGIC!. 2023年10月31日閲覧。
- ^ “作品紹介 | 角川シネマ有楽町”. www.kadokawa-cinema.jp. 2023年10月31日閲覧。
- ^ NHK-FM「ウィークエンドサンシャイン」2012年9月29日放送回
- ^ NHKラジオビジネス英語、2022年8月(再放送2023年2月)のインタビューより
- ^ 「Peter Barakan氏よりコメント」OTONaMazu。
- ^ アルバム「LET'S ONDO AGAIN」のライナーノーツ「LET'S ONDO AGAINの再発に寄せて」より
- ^ 2009年4月1日16時05分、ラジオ第1『ラジオ井戸端会議・セレクション「英語とどう付き合いますか?」』出演時にコメント
- ^ 【InterFM】「インターFM 執行役員にピーター・バラカンが就任」
- ^ 本人Facebook 7月6日付
- ^ Do You Believe in Magic _ ピーター・バラカン選曲!ラジオに魔法をかけた100曲 interfm.co.jp
- ^ 第50回ギャラクシー賞受賞作品
- ^ “ピーター・バラカンの番組はなぜ突如打ち切りになったのか? | CINRA”. www.cinra.net. 2023年4月9日閲覧。
- ^ “美輪明宏、ピーター・バラカン氏、増田明美さんらNHK放送文化賞を受賞 - 芸能 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2023年4月9日閲覧。
- ^ a b c ピーター ・バラカン氏 特別インタビューその1 Face Records インターネット・アーカイブより。 2016年5月2日閲覧
- ^ 「ぼくが愛するロック名盤240」p.237 講談社+アルファ文庫
- ^ 「ぼくが愛するロック名盤240」p.59。ピーターバラカン著。
- ^ ピーター ・バラカン氏 特別インタビューその2 Face Records インターネット・アーカイブより。 2016年5月2日閲覧
- ^ “ベビーメタルは「まがい物」バラカン氏にファン激怒”. 日刊スポーツ. (2016年4月16日) 2023年10月25日閲覧。
- ^ LHRInterfm, 2012/11/22
- ^ @pbarakan (2021年11月1日). "今月から新しいラジオ番組を担当することになりました。…". X(旧Twitter)より2021年11月5日閲覧。
- ^ WOWOW Offbeat & JAZZ
- ^ 『DJ名鑑 1987』三才ブックス、1987年2月15日、131頁。NDLJP:12276264/66。
- ^ WOWOW JAZZ FILE
- ^ "バラカンが見たコロナ禍の東京". NHK. 2021年3月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月28日閲覧。
- ^ 日本放送協会『バラカンが見たアイヌ新世代』 。2023年11月22日閲覧。
- ^ 日本放送協会『バラカンが見た縄文』 。2023年11月22日閲覧。
- ^ 日本放送協会『バラカンが見た沖縄』 。2023年11月22日閲覧。
- ^ "バラカンが見た村上海賊". IPG. 2023年5月20日. 2023年5月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月21日閲覧。
- ^ “バラカンが見た奄美大島”. www.nhk-ondemand.jp. 2023年11月22日閲覧。
- ^ 『アメリカン・ユートピア :デイヴィッド・バーン,マイラ・カルマン,ピーター・バラカン|河出書房新社』 。
- 1 ピーター・バラカンとは
- 2 ピーター・バラカンの概要
- 3 作詞
- 4 関連項目
「ピーター バラカン」の例文・使い方・用例・文例
- ピーターはスピード違反で調書をとられた
- ピーターを招待することは一度も私の頭に浮かばなかった
- ピーター,きみと僕はいつも堅いきずなで結ばれた友達だということを忘れないでくれ
- アンソニー・ブラウンが司会を務め、エマ・ピーターソンが共同司会者になる。
- ピーターは学校で悪い点数を取った。
- 約7割のお客様は、弊社の製品のリピーターになっております。
- 理論的側面については、ピーターソンの主要は我々の議論に直接関係がある。
- 彼らはピーターをキャプテンに選んだ。
- 赤ん坊は祖父の名をとってピーターと名づけられた。
- 私たちは近い将来ピーターを日本に招待したい。
- ヒューズさん、ピーター・ブラウンです。
- ピーターは陽気なやつだ。
- ピーターは父親と全然似ていない。
- ピーターは父より母にである。
- ピーターは非常に背が高い。お父さんに似ているのだ。
- ピーターは先生に当然示すべき尊敬を示した。
- ピーターは新しいオムツを必要としているのかもしれない。
- ピーターは少なくとも週に一度はアメリカの両親に電話している。
- ピーターは少し前から、新しい住居を探してきた。
- ピーターは子供じみた娘達にほとほとうんざりした。
固有名詞の分類
ラジオ番組のパーソナリティ・DJ | 尾崎裕大 町田えり子 ピーター・バラカン 久米宏 山本真理子 |
日本の音楽評論家 | 奥成達 北中正和 ピーター・バラカン 中川右介 末永直行 |
ユダヤ人 | カミーユ・ピサロ イグネイシャス・ティモシー・トレビッチ・リンカーン ピーター・バラカン ベラ・ダヴィドヴィチ ヤコブ・ベン・マキル・イブン・ティボン |
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