ブク川の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/19 06:18 UTC 版)
「ルーシ内戦 (1015年-1019年)」の記事における「ブク川の戦い」の解説
「ボレスワフ1世のキエフ遠征」も参照 1018年、スヴャトポルクの義父であるポーランド王ボレスワフ1世の加勢を得たスヴャトポルクは軍を動かした。対するヤロスラフも軍を起こし、両軍はブク川を挟んで遭遇した。しばらくの対峙の後にヤロスラフは敗れた。 スヴャトポルクはキエフに入り、ポーランド兵を配備した。また、援軍の返礼として、チェルヴェンの諸都市をポーランドに割譲した。(その後、スヴャトポルクとボレスワフは不和となる。)敗北したヤロスラフはノヴゴロドへと敗走し、さらにスウェーデンへの亡命を図ったが、スヴャトポルクからの報復を恐れたノヴゴロドの人々に引き止められ、ノヴゴロドに留まった。そして1019年、ノヴゴロドで編成した新たな軍を率いてキエフに迫った。スヴャトポルクはこれに対応することができず、ペチェネグ族の地に逃げた。キエフ大公位はヤロスラフの手に渡った。
※この「ブク川の戦い」の解説は、「ルーシ内戦 (1015年-1019年)」の解説の一部です。
「ブク川の戦い」を含む「ルーシ内戦 (1015年-1019年)」の記事については、「ルーシ内戦 (1015年-1019年)」の概要を参照ください。
- ブク川の戦いのページへのリンク