ハミルトン・フィッシュ
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ハミルトン・フィッシュ(英語: Hamilton Fish、1808年8月3日 – 1893年9月7日)は、アメリカ合衆国の政治家。ニューヨーク州知事(第16代)、アメリカ合衆国上院議員およびアメリカ合衆国国務長官(第26代)を歴任した。思慮深さに加えて、改革と外交的な節度に対する努力で知られ、グラント政権では政権の「柱」として高く評価され、学者らの間では最も優れた国務長官の一人であると考えられている[1][2]。論争の的となっていたアラバマ号事件に関して、自身の国際仲裁の概念を発展させて、イギリスと決着をつけた[1]。アメリカがキューバの独立を巡るスペインとの戦争に巻き込まれないよう、爆発寸前のバージニアス号事件に冷静に対処した[1]。1875年には、ハワイの砂糖の生産のため、交渉の末にアメリカとハワイとの間で結ばれた通商互恵条約により、究極的にハワイをアメリカの州の地位に導くことになるプロセスを主導した[1]。また、南アメリカ諸国とスペインとの間の講和条約締結に向けて、ワシントンD.C.での講和会議の開催準備に尽力した[3]。リベリアのグレボ族の戦争の解決のためには、アメリカ初のアフリカ系アメリカ人領事ジェームズ・ミルトン・ターナーと協働した[4]。グラント大統領はフィッシュを最も信用して政治的助言を求めたという[5]。
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- 1 ハミルトン・フィッシュとは
- 2 ハミルトン・フィッシュの概要
- 3 参考文献
- 4 外部リンク
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