ニューモデル軍
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ニューモデル軍(New Model Army, 1645年 - 1660年)とは、清教徒革命(イングランド内戦)期のイングランドで創設された軍隊である。各地からの寄せ集めの将士で構成された従来の軍制を一新、議会の指揮下で集められ議会派の新たな軍隊として王党派との内戦を勝利に導いた。王政復古で解散されたが、一部は近衛兵として引き継がれ存続、イギリスにおける国民軍(常備軍)の先駆として評価されている。
- ^ 議会派もこうした問題に気付いており、克服するため東部・中部・西部などいくつかの州を纏めた連合を結成、軍隊を再編成してローカリズムの打開を目指した。加えて資金と兵士を志願者から供出してもらう募兵制度で補充したが、それでも解決にならず、ローカリズムによる悪影響は尾を引いた。不良兵士が上官に反抗して傷害事件を起こす例も見られ、兵士の質の悪さも問題になった。若原、P244 - P248。川北、P193 - P194。
- ^ 鉄騎隊の選抜方法に基づき士官は身分を問わず抜擢されたという説があるが、ニューモデル軍ではそれは実現されず、将兵の大半は独立派ピューリタンで一般兵士は一般庶民、士官の多くは下級貴族・商人層など中流階級のジェントリであった(一般庶民が登用された例もある)。しかも給料に格差があり、多く支払われる士官は概ね裕福だったが、兵士は給料が少ない上遅延で支払われない場合が多く、大きな不満が溜まり第一次内戦終結後は各地で暴動が生じた。今井、P236、若原、P280 - P296、清水、P87。
- ^ 1646年から1647年にかけて、給料不払いで怒りが爆発した兵士達の暴動が至る所で発生した。集団略奪・上官の監禁・居座りなどが頻発、大きな社会問題になっていた。同時期の議会と軍の政治対立との関連性が示唆されているが、詳しいことは不明。若原、P296 - P298。
- ^ a b c d 松村、P516。
- ^ 若原、P241 - P242、今井、P201 - P203、川北、P191 - P194、清水、P62 - P64、P69 - P71。
- ^ 若原、P248 - P255、今井、P203 - P205、清水、P76 - P82。
- ^ 若原、P258 - P259、今井、P205 - P206、清水、P82 - P84。
- ^ 若原、P259 - P264、今井、P206 - P208、清水、P84 - P88。
- ^ a b 今井、P208。
- ^ a b 清水、P87。
- ^ 若原、P240、P265、P267 - P268、川北、P194 - P196、清水、P155。
- ^ 若原、P271 - P279。
- ^ 若原、P285。
- ^ 若原、P265 - P266、川北、P196。
- ^ 今井、P208 - P209、清水、P88 - P97。
- ^ 若原、P252 - P253、P292 - P296、P304 - P306、今井、P201 - P202、P209 - P210、清水、P102 - P106。
- ^ 若原、P306 - P322、今井、P210 - P214、川北、P196 - P197、清水、P103 - P108、P111 - P120、P123 - P133。
- ^ 今井、P214 - P215、川北、P197、清水、P133 - P148。
- ^ 若原、P299 - P301、今井、P219、川北、P197 - P199、清水、P163 - P172。
- ^ 今井、P220、清水、P172 - P185。
- ^ 今井、P223 - P226、川北、P199 - P200、清水、P195 - P211。
- ^ 田村、P144 - P147、山本、P161 - P169。
- ^ 今井、P228 - P232、川北、P200 - P202、清水、P222、P226 - P235、P239 - P240。
- ^ a b 松村、P710。
- ^ 今井、P232 - P233、清水、P263 - P265。
- ^ 松村、P497。
- 1 ニューモデル軍とは
- 2 ニューモデル軍の概要
- 3 変遷
- 4 参考文献
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