ドイツ問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/21 19:05 UTC 版)
ナチス・ドイツは、現在のオーデル・ナイセ線以東にあるシレジア・ポメラニア・東プロイセンの東部領土を全て失い、これらはポーランド人民共和国領となることが決定された(東プロイセンの北半分についてはソ連領)。これは当時ドイツ国土の4分の1に当たり、ドイツにとってはプロイセンの故地である、東プロイセンを含めた広大な領土を失うこととなり、極めて喪失感の大きい内容となった。 なお、ポーランド人民共和国については、ドイツの東部領土を自領とする代わり、従来の東部領土をソ連に割譲することが決定された。この結果、ポーランド人民共和国の国土は、従来と比べ大きく西へずれ、若干の領土縮小につながった。また、ガリツィアなど旧東部領に居住するポーランド人は、そのままソ連領へ編入される結果となった。 一方、戦後のドイツの処遇については、首都ベルリンも含め、ドイツを東側陣営(ソビエト社会主義共和国連邦)と西側陣営(イギリス・フランス・アメリカ合衆国)で共同管理することが決められた。
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