トヴェリ大公国への編入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 05:51 UTC 版)
「カシン公国」の記事における「トヴェリ大公国への編入」の解説
1382年、ジョチ・ウルスのトクタミシュは、ウラジーミル大公位をモスクワ公家が継承していくことを承認し、同時にトヴェリ大公国の独立性をも認めた。同年にカシン公ヴァシリーが死亡すると、トヴェリ大公ミハイルはカシン公国を自身のトヴェリ大公国の直轄地に組み込んだ。トヴェリ大公ミハイルは、カシン公位を自身の息子たちに順次与えていったため、カシン公国はしばらく存続したが、1426年にミハイルの子のヴァシリー(ミハイルの子としては3人目のカシン公)が死亡したのち、カシン公国は再びトヴェリ大公国に組み込まれた。 なお、トヴェリ大公国自体が1485年にモスクワ大公国に併合された際に、カシン公国領もまたモスクワ大公国領となっている。
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