ツィンマーヴァルト会議
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「ツィンマーヴァルト運動」の記事における「ツィンマーヴァルト会議」の解説
1915年9月5日から8日までスイスのツィンマーヴァルトにて「鳥類研究者の集まり」を装って開催され、中立国および交戦国合計11か国から38名の代表が出席した。ロシアからはレーニン・ジノヴィエフ・トロツキー・マルトフ、ドイツからはレーデブーアらが参加したほかスイス・イタリア・フランス・ノルウェー・オランダ・ポーランド・ブルガリア・ルーマニアから参加があった。しかしドイツで戦時公債に反対し徴兵されていたK・リープクネヒト、同じく反戦的言動で投獄されていたルクセンブルクや、イギリス独立労働党・アメリカ社会党の代表は参加できなかった。この会議では、レーニンら左派により第二インターの反戦運動の枠組みを踏みこえる「革命的祖国敗北主義」の主張があったが大勢の支持を得ることができず、彼らは「ツィンマーヴァルト左派」と呼ばれるグループを形成していくこととなった。結局会議は、第二インターナショナルの反戦宣言を基本的には踏襲し「城内平和」に反対し無併合・無賠償の講和を提唱する「ツィンマーヴァルト宣言」を採択した。またスイスのR・グリムらから構成される「国際社会主義平和委員会」(ISK)がこの運動の事務局として選出された。
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