チョーラ朝との争いと領土の拡大
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/04/17 09:13 UTC 版)
「後期チャールキヤ朝」の記事における「チョーラ朝との争いと領土の拡大」の解説
後期チャールキヤ朝の前途は多難で、まず10世紀末から11世紀前半は、南隣のチョーラ朝がラージャラージャ1世、ラージェーンドラ1世のもとで全盛時代であった。 また、このチョーラ朝の両王は後期チャールキヤ朝と血縁関係にある東チャールキヤ朝と婚姻関係を結んで、その宗主権を主張したことから、まずはこれと戦い続けなければならなかった。 11世紀中頃、ソーメーシュヴァラ1世(在位1042 - 1068)の治世に、首都をラーシュトラクータ朝から引き継いだマーニヤケータからカリヤーニに遷都し、また、ソーメーシュヴァラ1世は北インドでは、パラマーラ朝のボージャ王を破り、東部ではカリンガ地方を征圧した。しかし、ソーメーシュヴァラ1世の治世もまた、東チャールキヤ朝の宗主権をめぐり、チョーラ朝と長年にわたって激しく争い続けた。
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