チャタヌーガとメリディアン方面作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/29 23:00 UTC 版)
「第17軍団 (北軍)」の記事における「チャタヌーガとメリディアン方面作戦」の解説
第17軍団所属部隊の多くはミシシッピに残ったが、テネシー軍の司令官となったシャーマンは、フランシス・プレストン・ブレア・ジュニア少将の第15軍団と、ジョン・スミス(John E. Smith)准将の第2師団を率いて、チャタヌーガ支援に向かった。ミッショナリー・リッジの戦いでは、第2師団の2個旅団(グリーン・ラウム(Green Berry Raum)准将およびがチャールズ・マティス(Charles L. Matthies)准将)が大きな役割を果たした。 1863年から1864年にかけての冬、メリディアン方面作戦を開始するために、シャーマンはビックスバーグに戻った。この作戦ではマクファーソンが第17軍団を率いたが、第3師団、第4師団および第1師団第3旅団のみが参加した(第2師団は依然としてチャタヌーガにあった)。
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