ダライ・ラマ7世とは? わかりやすく解説

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ダライ・ラマ7世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 07:35 UTC 版)

ダライ・ラマ7世ケルサン・ギャツォワイリー方式bskal bzang rgya mtsho1708年 - 1757年)は、チベット仏教ゲルク派の有力な化身系譜であるダライ・ラマの7代目として認定された人物である。名はケルサンギャムツォ、ケルサン・ギャムツォ、ケルサン・ギャンツォとも表記される。チベット東部カム地方のリタン(現在の四川省理塘県)に生まれた。


注釈

  1. ^ オイラトはチンギス系とは別のモンゴル系民族で、現在ではモンゴル族の一つとして扱われており、ホシュート部とはその一部族である(手塚 2010, p. 167
  2. ^ グシ・ハン王朝の始祖グシ・ハーン(トゥルバイフ)は、熱心なダライ・ラマ(5世)の信者であり、グシ・ハーンによるチベット征服は宗教界再編を引き起こし、手塚利彰の主張するところでは「宗派と国家を超えたチベット仏教圏の最高権威としてのダライラマの誕生」をもたらした(手塚 2010, p. 167)。
  3. ^ 1720年のチベット侵攻の際、清朝派遣軍は「文殊皇帝の軍がジュンガルに踏み荒らされたチベットの人々を救済し、正統的なダライ・ラマを即位させる」と喧伝しており、康煕帝は一面ではチベット仏教思想の論理に強く縛られていた(石濱 2010, p. 268)。
  4. ^ ここにおける「ホンタイジ」は「ハンを補佐する副王」という意味の称号。グシ・ハーンは自らの女婿に「バートル・ホンタイジ」の称号を授けている(手塚 2010, p. 174)。なお、「ホンタイジ」は元来は中国語の「皇太子」を起源とする言葉であったが、トゥメト部の長アルタン・ハーンが自分の副王にホンタイジ号を与えて以来、西方を担当するハンの副王(全権代理)の意味になっていた(宮脇 2002, p. 196)。
  5. ^ ガンデンポタンは、元々デプン寺にあったダライ・ラマの殿舎で、グシ・ハーンの寄進によって成立したダライ・ラマ領の政庁となり、ポタラ宮に移された。現在の亡命政府もガンデンポタンを引き継いでいる(手塚 2010, p. 168)。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 「歴代ダライ・ラマ法王」ダライ・ラマ法王日本代表部事務所
    チベット語の固有名詞については上記ウェブページでの表記をそのまま採用せず、山口瑞鳳(『チベット 上・下』)、石濱裕美子(『チベット歴史紀行』、チベット亡命政府文部省編『チベットの歴史と宗教』)、今枝由郎(デエ『チベット史』)、奥山直司(スネルグローヴら『チベット文化史』)、田中公明(『活仏たちのチベット』)による表記を参考に適宜改めた。また、区切らずにひとつながりで表記する研究者もいるが、ここでは意味上のまとまりを中黒で区切った。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 手塚 2010, pp. 173-187.
  3. ^ 田中 2000, p. 120.
  4. ^ a b c d e f g h 石濱 2000, pp. 266-268.
  5. ^ 山口 2001, pp. 416-417.


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