ジョヴァンニ・バティスタ・ビスカラとは? わかりやすく解説

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ジョヴァンニ・バティスタ・ビスカラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/14 00:05 UTC 版)

ジョヴァンニ・バティスタ・ビスカラ
Giovanni Battista Biscarra
自画像
誕生日 (1790-02-22) 1790年2月22日
出生地 Nizza(ニース
死没年 1851年4月13日(1851-04-13)(61歳)
死没地 トリノ
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ジョヴァンニ・バティスタ・ビスカラ(Giovanni Battista Biscarra、Jean-Baptiste Biscarra とも、1790年2月22日 - 1851年4月13日)は、イタリアの画家、彫刻家、版画家である。 歴史画や宗教画、王室の人物の肖像画を描いた[1]

略歴

当時はサルデーニャ王国の領地であったニッツァ(Nizza;現在のニース)で生まれた。父親はサルデーニャ王国陸軍などの財務官を務めた人物である[2]。いとこに詩人のアガト=ソフィー・サセルノ(Agathe-Sophie Sasserno)がいる[3]

サルデーニャ王国がフランス軍に侵攻された時、家族でフィレンツェに避難した。フィレンツェでの生活は長く続き、フィレンツェの美術学校でピエトロ・ベンヴェヌーティ(1769-1844)に学んだ。1815年にサルデーニャ国王 ヴィットーリオ・エマヌエーレ1世から俸給を得てローマに移り、アカデミア・ディ・サン・ルカヴィンチェンツォ・カムッチーニに学び、彫刻家のアントニオ・カノーヴァベルテル・トルバルセン、ピエトロ・テネラニといった新古典主義の芸術家たちと友人になり、カリニャーノ宮殿に描いた壁画などで画家として名声を得た。

ローマで6年間、活動した後、1821年に即位した新国王 カルロ・フェリーチェ・ディ・サヴォイアに招かれてトリノに移り、宮廷画家に任じられ、美術学校の校長も務めた。1824年に設立された王立の美術学校でも、美術教師を続け、1831年に即位した国王 カルロ・アルベルト・ディ・サヴォイアによって1833年に美術学校が改組され、アカデミア・アルベルティーナ(Accademia Albertina)と改名された後も教師を続けた。1842年にトリノの美術振興協会の設立にも貢献した。

1851年にトリノで没した。息子のカルロ・フェリーチェ・ビスカラ(Carlo Felice Biscarra: 1823–1894)は画家になり、孫のチェーザレ・ビスカラ(Cesare Biscarra: 1866–1943)は彫刻家になった[4]

ジョヴァンニ・バティスタ・ビスカラは新古典主義のスタイルで歴史画を描き、トリノの王宮や教会の装飾画も描いた。

作品

参考文献

  1. ^ Paolo Venturoli, Giovanni Battista Biscarra at Treccani Dizionario Biografico (イタリア語)
  2. ^ Stella, A. (1893), Pittura e Scultura in Piemonte, 1842-1891, Torino, Ditta G.B. Paravia e Comp., p. 21 
  3. ^ Derot, Maurice (January–March 1980), “Agathe-Sophie Sasserno, la Sapho niçoise”, Nice Historique year 83 (1): 4, http://www.nicehistorique.org/vwr/?nav=Index&document=1221 
  4. ^ Rue Biscarra at Nice Rendez-Vous



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