ザクセンの自立とは? わかりやすく解説

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ザクセンの自立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 06:29 UTC 版)

ハインリヒ5世 (神聖ローマ皇帝)」の記事における「ザクセンの自立」の解説

ヴォルムス協約によって、叙任権闘争は一応の終結へと至った。しかし、この取り決め皇帝地位低下もたらすのみであったザクセン公自立は一層進み帝国内の混乱収拾されなかった。 こうした中、1123年にアイレンブルク伯兼マイセン辺境伯ハインリヒ2世子供の無いまま薨去した。ハインリヒ5世家臣のグロイチュ伯ヴィプレヒト2世マイセン辺境伯任命したが、ハインリヒ2世従叔父コンラート反発ザクセン公ロタール同盟組んでヴィプレヒト2世追放した。しかも、ロタール勝手にコンラートマイセン辺境伯領を与え、バレンシュテット伯アルブレヒト熊公にもラウジッツ与えたハインリヒ5世はこの決定対処できないまま1125年5月23日ユトレヒトで癌のため崩御した。39歳であったシュパイアー大聖堂葬られた。 1114年結婚したマティルダ・オブ・イングランドとの間に嫡子がいなかったため、これをもってザーリアー朝断絶することになる。次のローマ王選挙は甥で姉アグネスシュヴァーベン大公フリードリヒ1世の子フリードリヒ2世立候補したが、諸侯はもう1人候補者ロタール・フォン・ズップリンブルクをローマ王選出した

※この「ザクセンの自立」の解説は、「ハインリヒ5世 (神聖ローマ皇帝)」の解説の一部です。
「ザクセンの自立」を含む「ハインリヒ5世 (神聖ローマ皇帝)」の記事については、「ハインリヒ5世 (神聖ローマ皇帝)」の概要を参照ください。

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