サンクム
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サンクムこと、サンクム・リアハ・ニヨムもしくはサンクム・レアストル・ニョム(クメール語: សង្គមរាស្រ្តនិយម、Sangkum Reastr Niyum)は、カンボジアにかつて存在した政治団体もしくは政党。直訳すると「庶民に帰依する組織」となるが、人民社会主義共同体(英語: Popular Socialist Community)との訳が定着している[1]。当時のカンボジア王国においてノロドム・シハヌーク(シアヌーク)の政権を支え[2]、事実上の一党支配政党であったが、公式には(超党派の)運動を称することが多かった。
- ^ コトバンクでの「サンクム」への言及では、すべて「人民社会主義共同体」を日本語訳として採用している。[1]
- ^ Dommen, A. The Indochinese experience of the French and the Americans, Indiana University Press, 2001, p.318
- ^ 『東南アジアの価値意識』 1巻、アジア経済研究所、1974年、52頁。
- ^ 『世界』458-461号、岩波書店、1984年、378頁。
- ^ Dommen, A. 上掲書 ,pp.359-360
- ^ Kershaw (2001). Monarchy in South East Asia. p. 57
- ^ 『教科書に書かれなかった戦争』 9巻、梨の木舎、1983年、139頁。
- ^ ベン・キールナン. How Pol Pot came to power, Yale University Press, 2004, p.158
- ^ 『教科書に書かれなかった戦争』 9巻、梨の木舎、1983年、140-141頁。
- ^ Ross, R. Library of Congress Country Studies: Cambodia - Domestic Developments, 1987
- ^ 清野 真巳子『禁じられた稲-カンボジア現代史紀行』連合出版、p.42
- ^ 『NAM』同朋舎出版、見聞社編、p.532
- ^ デービッド・P・チャンドラー,『ポル・ポト伝』めこん、p.131
- ^ このようにシハヌークおよびサンクムは左派の人物の登用と弾圧を繰り返した。
- ^ しかしサムロートでの衝突をカンボジア内戦の開始とみなすベン・キールナンらの見解もある。上掲書 pp.250-253
- ^ ベン・キールナン. 上掲書 pp.175-176
- ^ Ayres, D. M Anatomy of a crisis: education, development, and the state in Cambodia, 2000, p.31
- ^ ここに反共であると同時に容共であるという、民族主義と社会主義を兼ね備えたが故のサンクムの複雑な性格が表れている。
- ^ 『世界の動き』233-248号、世界の動き社、1971年、23頁。
- ^ ノーム・チョムスキー、エドワード・ハーマンAfter the cataclysm, South End Press, 1979, pp.216-217
- ^ Kershaw, R. Monarchy in South-East Asia: The Faces of Tradition in Transition, Routledge, 2001, pp.56-57
- ^ シアヌーク前国王死去 カンボジアの現代史を体現 『iza』2012年10月16日
- 1 サンクムとは
- 2 サンクムの概要
- 3 体制の終焉から本格的な内戦へ
- 4 関連項目
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