サルデーニャ軍の南下
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/11 14:03 UTC 版)
「フランチェスコ2世 (両シチリア王)」の記事における「サルデーニャ軍の南下」の解説
同時期に教皇領への単独併合を進めていたサルデーニャ王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世は、全土占領を完了すると遂に両シチリア王国へと進軍を開始した。ガエタに結集していた両シチリア軍は2方向へ軍を割かなければならなくなり、サルデーニャ軍はカプアの戦いで、ガリバルディ軍はボルツァーノの戦いで、それぞれ両シチリア軍を撃破した。その後、フランチェスコ2世は野心高さで知られた王妃マリーア・ソフィアと共にガエタ要塞に立てこもって抵抗を続けた。この時の国王夫妻の懸命な努力は、サルデーニャ側の援軍として加わっていたフランス海軍の砲撃を退けるなど、両シチリア軍の善戦に繋がった。 しかし抵抗も空しく、1861年2月12日に要塞は陥落し、最後の拠点を失った両シチリア軍は降伏した。
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