サミュエル・サットン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/20 15:54 UTC 版)
サミュエル・サットン(Samuel Sutton、1760年 - 1832年6月17日)は、イギリス海軍の士官である。アメリカ独立戦争勃発から間もないころに入隊し、軍人生活の大部分を、ジョシュア・ロウリーと共に過ごした。西インド諸島でのフランスとの交戦にいくつか参戦し、アメリカ独立戦争終結時は海尉だった。その後の休戦期間は就役しなかったが、1790年のヌートゥカ危機の際、短期間現場に復帰した。1793年のフランス革命戦争の勃発と共に正式に海軍に復帰し、多くの艦の艦長を務めた後、1795年の第一次グロワの海戦の際に、スループ船の指揮を任され、フランス王族アングレーム公爵を護衛する機会を与えられた。この時の功績により、サットンは何人かの提督の座乗艦の艦長を務めた。その提督の中にはホレーショ・ネルソンもいた。サットンはヴィクトリーの艦長にも就任したが、その後艦長の座をトマス・ハーディに明け渡した。サットンの後にヴィクトリーの艦長を務めたハーディは、ネルソンの死にも立ち会った。サットンは、ヴィクトリーの艦長退任後はフリゲート艦を指揮し、1804年にはスペインとの海戦で、3隻のスペインのフリゲート艦を拿捕し、4隻目を破壊した。この海戦は物議をかもしたが、サットンはこの戦利品で富を得た。にもかかわらず海軍にとどまったサットンは、1805年、西インド諸島へのフランス艦の追跡に加わったが、この時体調を崩し、同年の10月に帰国して、現役から引退した。その後はノーフォーク、サフォークの両州で行政長官、副統監として地元に貢献し、1821年に海軍中将に昇進して、翌1832年に没した。
- ^ a b c Tracy. Who's who in Nelson's Navy. p. 336.
- ^ a b c d e f g The Gentleman's Magazine. p. 83.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v Tracy. Who's who in Nelson's Navy. p. 337.
- ^ Winfield. British Warships of the Age of Sail: 1714–1793. p. 291.
- ^ a b c The Gentleman's Magazine. p. 84.
- ^ History And Other Thoughts
- ^ Winfield. British Warships of the Age of Sail: 1794–1817. p. 136.
- ^ Adkin. The Trafalgar Companion. p. 463.
- ^ Fremont-Barnes. The Royal Navy: 1793-1815. p. 83.
- ^ Adkin. The Trafalgar Companion. p. 468.
- ^ Winfield. British Warships of the Age of Sail: 1794–1817. p. 141.
- ^ a b c Goodwin. Nelson's Ships. p. 284.
- ^ a b c d e Goodwin. Nelson's Ships. p. 249.
- ^ a b Henderson. Frigates, Sloops and Brigs. p. 79.
- ^ a b c Goodwin. Nelson's Ships. p. 230.
- ^ James. The naval history of Great Britain. p. 280.
- ^ a b James. The naval history of Great Britain. p. 281.
- ^ James. The naval history of Great Britain. p. 282.
- ^ Goodwin. Nelson's Ships. p. 227.
- 1 サミュエル・サットンとは
- 2 サミュエル・サットンの概要
- 3 コペンハーゲンの海戦とホレーショ・ネルソン
- 4 トラファルガーの海戦以後
- サミュエル・サットンのページへのリンク