コマンチェ最後の大酋長、クアナ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/02 23:33 UTC 版)
「コマンチェ」の記事における「コマンチェ最後の大酋長、クアナ」の解説
コマンチェで最も偉大な指導者は、コマンチェと白人女との混血のクアナ酋長である。母の姓をつけ「クアナ・パーカー」と呼ばれるが、クアナはこの白人の呼び名を非常に嫌い、「クアナ(薫り高いという意味)」とのみ自称した。 自身勇猛な戦士として略奪部隊を率いたが、19世紀末、ララミー条約による白人の保留地政策を受け入れた。コマンチの開化に尽力し、「ネイティブ・アメリカン教会」の始祖としても知られる。生涯、伝統的なコマンチェとして生き、彼が死んだのちには、その栄誉を称え、コマンチェは以後「酋長(チーフ)」の名称をコマンチェ族から廃止した。クアナが「コマンチェ最後の酋長」と呼ばれるのはこのためである。
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