キングジョージ
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キングジョージ(King George )は、英語でジョージ国王のこと。
- 1 キングジョージとは
- 2 キングジョージの概要
キングジョージ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 13:44 UTC 版)
次走はアイリッシュダービーに登録。ここまで6戦5勝、全欧の3歳馬で最高レートの130ポンドのレイティングを与えられていた ジョッケクルブ賞(フランスダービー)優勝馬・セルティックスウィングとの対戦が注目を集めたが、競走直前に右後脚を捻挫して出走を回避。代わって20日後のキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスに登録した。競走の3日前、ラムタラの騎手がランフランコ・デットーリに代わることが発表され、イギリス国内で大きな反響を呼んだ。ラムタラの伝記を執筆したローラ・トンプソンは、当時の状況を次のように伝えている。 ニュースは、驚きとともに、一部は反感を込めて、競馬の世界を駆けめぐった。スインバーン(ママ)はダービーで非常に素晴らしい騎乗を見せたし、ニューマーケットでも良い動きで追い切っていたので、この乗り替わりはどうにも理解できなかった。デットーリは素晴らしい騎手だが、スインバーンの方が腕が良いと思われていたし、たとえ一方のほうが優れていると言ったところで、それは個人的な見解にすぎなかった。 モハメドは「騎手を選ぶ決定権は馬主にある」と語り、ゴドルフィンのレーシングマネージャー、サイモン・クリスフォードは「フランキー(デットーリ)は厩舎の騎手なので、乗ってもらうことにしました」と語ったのみであった。スウィンバーンはこの件について一切の不満を漏らさず、「それでいいと思います。これからはデットーリで勝ち続けて欲しいし、心から応援したい」と語った。デットーリは後に自著において、「ラムタラに騎乗できるだけでも嬉しかった僕は、騎乗依頼を即座に受けたものの、もし負けでもしたら、ウォルターだったら勝てたのに、と言われるだろうとも考えた」と、当時の心境を回想している。 当日は7頭立てで、ラムタラは1番人気に支持された。スタートが切られるとラムタラは2番人気のペンタイアと並んで最後方を進んだ。デットーリは残り4ハロン(約800m)付近からスピードを上げようとしたが、ラムタラはデットーリが意図したほど合図に応えず、ペンタイアが先に先団へ上がっていった。最終コーナーでは内側を走っていたエンヴァイロメントフレンドと接触して外に弾かれたが、この瞬間からラムタラはスパートを掛け、ペンタイアと並んで最後の直線に入った。直線ではペンタイア、ストラテジックチョイスと激しく競り合った末、ゴール前で首差抜け出してこれを制した。ダービーとキングジョージを無敗のまま連勝した馬は、父ニジンスキー(1970年)、ナシュワン(1989年)以来、史上3頭目であった。デットーリはペンタイアとの競り合いをボクシングに喩え、「パンチを受けてもノックアウトでやり返すラムタラは、真のプロボクサーだ」と称えている。
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