ガダルカナル島の戦い
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ガダルカナル島の戦い(ガダルカナルとうのたたかい、英: Battle of Guadalcanal)は、第二次世界大戦において1942年8月以降日本軍と連合軍が西太平洋ソロモン諸島のガダルカナル島を巡って繰り広げた戦いである。ミッドウェー海戦と共に太平洋戦争における攻守の転換点となった。日本側は激しい消耗戦により、戦死者だけでなく兵員に多数の餓死者を発生させたうえ、軍艦、航空機、燃料、武器等多くを失った。
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- ^ Rottman, p. 65. 戦いの期間中、日本陸軍31,400人、海軍4,800人が展開した。Jersey は島に送られた部隊を陸海軍合わせて 5万人とし、当初の海軍守備隊1,000–2,000人のほとんどは1942年11月と12月にトーキョー・エクスプレスの艦艇で撤収したとしている。
- ^ Frank, pp. 57, 619–621; Rottman, p. 64. 戦いの全期間合計で米海兵隊約2万人、陸軍4万人がガダルカナル島に展開した。他の連合国部隊は含まない。
- ^ Cowdrey (1994) p. 71: 「死者19,200のうち、戦闘による死者は8,500にすぎない。過半数は栄養不良、マラリア、下痢、脚気によって死んだ」。海軍(地上・海上)の死者を含まない。
- ^ Scott Fisher, Nathan Forney. “The Turning Point of the Pacific War: Two Views The Battle of Midway or the Struggle for Guadalcanal”. combinedfleet.com. 2019年7月24日閲覧。
- ^ Frank, pp. 598–618; Shaw, p. 52; and Rottman, p. 65. 数字には戦闘、疾病、事故などあらゆる原因を含む。死者の内訳は地上部隊24,600–25,600人、海上3,543人、航空2,300人。捕虜の大部分は日本海軍の建設部隊に配属された朝鮮人労働者であった。軍艦の損失には軍艦と大型の特務艦を含む。航空機の損失には戦闘と事故の両方を含む。
- ^ Tucker 2014, p. 213
- ^ 米海兵隊戦史部は陸軍・海兵隊合わせて負傷4,709人としている。これに海兵隊航空部隊の127人が加わる。Frank によると Bureau of Personnel, World War II Casualty List, Books 2 and 3, Naval Historical Center, Washington, D.C. では戦いの全期間で海軍の負傷者2,953人となっている (Frank, p. 644) 。
- ^ Frank, pp. 598–618; and Lundstrom, p. 456. 第一次ソロモン海戦でオーストラリア兵85人が死亡。ソロモン諸島住民の死者数は不明。残りの死者の多くはアメリカ人である。数字には戦闘、疾病、事故などあらゆる原因を含む。死者の内訳は地上部隊1,768人、海上4,911人、航空420人。南太平洋海戦ではアメリカの航空兵4人が日本軍の捕虜となり、戦後まで生き残った。ほかのアメリカ軍兵士(陸海空を合わせて)の捕虜数は日本側記録でも不明だが、いずれも生き残らず、死亡の時期や原因もほとんどが不明である(Jersey, pp. 346, 449)。捕獲した日本軍の文書によると、捕虜となった2人の海兵隊斥候は日本陸軍の軍医によって木に縛り付けられ、生きたまま解剖されたという (Clemens, p. 295)。軍艦の損失には軍艦と大型の特務艦を含む。航空機の損失には戦闘と事故の両方を含む。
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- ^ “「ガダルカナル島」慰霊式典に刃物男、海自隊員襲われる…はさみのような凶器で首に負傷”. 読売新聞オンライン (2022年8月8日). 2022年8月8日閲覧。
- ^ “海上自衛隊員1人襲われる 慰霊式に出席中―ソロモン諸島”. 時事通信 (2022年8月8日). 2022年8月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月8日閲覧。
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