カーティーンの戦いとは? わかりやすく解説

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カーティーンの戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/28 00:25 UTC 版)

カーティーンの戦いとは、東ローマ帝国と同盟を結んでいたガッサーン朝英語版アラビア語版[1]正統カリフの軍隊との間で起きた、シリアでの小規模な戦闘のことである。634年6月にこの戦闘は起きた。正統カリフの軍隊を指揮したのは、ハーリド・イブン=アル=ワリードであった。

概説

ハーリド・イブン=アル=ワリードは、パルミラを占領したあと、シリアの都市カーティーンへ進軍を開始した。カーティーンは、勃興したイスラーム勢力への抵抗を続けていた都市であった。

ガッサーン朝の軍隊の数ははっきりと分からないが、この戦いで、9000を率いたイスラームの軍隊は、ガッサーン朝の軍隊を撃破し、シリア進出への橋頭堡を築くこととなった。

脚注

  1. ^ ガッサーン朝』 - コトバンク

参考文献

  • A.I. Akram, The Sword of Allah: Khalid bin al-Waleed, His Life and Campaigns, Nat. Publishing. House, Rawalpindi (1970) ISBN 0-7101-0104-X.

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