カルガリー五輪5位入賞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 14:05 UTC 版)
「伊藤みどり」の記事における「カルガリー五輪5位入賞」の解説
1985年、中学校3年生で全日本選手権初優勝。以後、1992年まで優勝を重ね、渡部絵美と並ぶ史上最高8連覇を達成する(後に1996年大会も制し、通算9回優勝)。この年の東京での世界選手権では、規定競技前日に右足首を骨折し棄権した。 1987年の世界選手権は、規定の出遅れから総合8位に終わるが、翌年のカルガリーオリンピックの出場枠2を確保する。1988年1月、全日本選手権で優勝して、念願だったカルガリーオリンピックへの初出場を果たす。大会には「女らしさ」「優雅さ」を意識した演技で競技に臨んだ。規定で10位につけ、ショートプログラムは4位で暫定8位となり、入賞の目処が立った。フリーでは5種類の3回転ジャンプを7度決め、思い通りの演技にガッツポーズを演技終了直前に見せた。演技終了前から2万人の観客のスタンディング・オベーションを受ける。技術点では5.8-5.9点と出場選手中最高点をマークし再びスタンディングオベーション。芸術点は5.5-5.7点(芸術点だけで5位)と低く抑えられたため、観客からはブーイングが起きた。この演技によってフリー演技だけで3位、総合成績で5位入賞を果たした。なお5位入賞は、1964年インスブルック大会の福原美和と並ぶ冬季五輪のフィギュアスケート日本代表選手最高位の記録(当時)で、6位以内の入賞は 1980年レークプラシッド大会の渡部絵美以来8年ぶりだった。大会最終日のエキシビションでは当時としては珍しく、総合5位ながら演技者の1人に選ばれた。
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